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THEiDOLM@STER SS 『私を満たして』


とぷん、と音がした気がした。
それから、私の中に熱い何かが流れ込む気配。

ふわふわと心地よい感触。
ぞくぞくする感覚が背筋を駆け上がってくる。

矛盾している。
けど、それがホントウだ。

ふわふわ。
ぞくぞく。

暖かい。
ヒンヤリ。

ぷかぷか。
ドキドキ。

頭の中を単語がいくつも回る。

ぐるぐる。
ぐーるぐる。
ぐーるぐるぐる。
ぐーるぐるぐるぐる。


ぼんやりと、
火照った頭で考える。


それは、

私が満たされていく、
そうことなんだろう。



THEiDOLM@STER SS 「私を満たして」



「伊織っ?
・・・伊織っ!?」

誰かの声が聞こえて、私の意識が浮上する。
ああ、心地よい世界が音を立てて崩れていく。


がら。
がらがら。
がらがらがら。
がらがらがらがら。


意識が覚醒すると、
目の前には彼の顔があった。
ほっとする。

「何よ、うるっさいわねぇ」

不快気にその人を見つめる。
私は、私の言葉を幾重にも包んで守る。

心が弱い私の常套手段だ。

温もりに飢えて育った私は、
自分の生の言葉が否定されることを極端に怯えた。

「もうそろそろ本番だけど、大丈夫か?」

そう言って、彼が差し出したイチゴミルクを受け取る。
お礼すら言わず、ちゅるちゅるとストローを啜る私が、
やんわりと微笑みかけてくれる彼をぼんやりと眺めていたときだ。
不意に彼が続けた。

「今日のメンバーだけどな、・・・で、・・・だ。
大丈夫か?」

今日の収録内容の構成について、こと細かく私に説明を重ねてくれる。
私がどう動けば良いのか、を中心に考えてくれていることが嬉しい。

「大丈夫に決まってるじゃないっ!
アンタがこの私のことを心配するなんて、100年早いのよっ!」

「そっか、頑張れよ」

私のぶっぎらぼうな言葉に、彼の言葉が重なった。
優しく、ふわりと。
その言葉の自然さが、嬉しい。

「ふんっ、余計なお世話よっ?」

それでも私の幕は下ろされたままだ。



収録が終わると、
周りの共演者やスタッフの皆にニコニコと挨拶して廻る。
『ありがとうございました』
『お世話になりました』
『今後ともよろしくおねがいします』

ぽろぽろと私の口から感謝の言葉が彼らに向けて毀れていく。
これも、本心を包んで隠した言葉だから言える。
社交辞令ってヤツだ。


「あーっ、つっかれた〜。
全く、私がいくら可愛いからって、あんなに褒めちぎらなくてもいいのにねぇ?」

にひひっ、と笑いながら私は控え室の椅子に座り込んだ。
まぁ、あんなものが表面上のモノだってことぐらいは分かっているから、
正直なところ、気疲れするだけなのだけど。

「お疲れ様、伊織。
今日は良い出来だったぞ」

だから裏表の無い彼の言葉が嬉しい。
思わずだらしなく綻びそうになった顔が、勝手に強張る。

「とーぜんでしょっ!
私がパーフェクトなんて前からわかりきったことじゃないっ!」

憮然とした顔で彼に言い放つ。

「ああ、そうだな」

彼は私の発言に軽く同意してみせる。
そんな彼の姿を見るたびに思う。


私は子供で、
彼は大人なんだって。

子供な私だけど、
社交界のルールを一通り学んでいたから、大人の機微ってヤツも心得ていると思う。
つまり、
どう言う言い回しで、
どう言う順番で、
どう言う表情で、
仕事上の付き合いをすれば良いのかってことだ。

でも、その逆は知らないし、出来ない。
自分の本心をさらけ出すことは怖いし、
本当の自分が嫌われることが怖い。
本音を語れず、がちがちに身を守ることに必死だ。

自分の全てをさらけ出したい人には上手く喋ることが出来ない。
心を通わせた人との関係が冷え込むことが怖い。
それならば、いっそ初めから心を通じなくしておこうと思ってしまう。
いや、思うのではない。
つい、私のちっぽけな自尊心がソレを実行してしまうのだ。

だから、彼に対して
『ありがとう』
『ごめんなさい』
『今後ともよろしく』
どの言葉を出すことが出来なかった。

そんな子供な私。


大人な彼は、
仕事上の付き合いが出来る人だけど、
それでも、
私と本音で向き合ってくれていた。

私の我侭を仕事の上で必要だから、と聞き流しているのか。
それは違った。
私の社交辞令と同じで、上滑りの褒め言葉なのか。
それは違った。

彼は困った顔で懸命に考えて、そして出来うる限りの方法で叶えてくれた。
彼がダメだと思った時は、躊躇無くダメだと言ってくれた。


それが、彼の本音だということは何と無く分かった。


自分が私に嫌われるかもしれない、などと不安にならないのだろうか?
それはどうしてなんだろう?
そんな私が知らないことを知っている、
大人な彼。

・・・私はそれが知りたい。




それからも私は活動を続け、
アイドル街道を順調に駆け上っていた。
親も兄も、皆私が途中で頓挫すると思っていたようだ。
そんな彼らが驚くほどのアイドルとなった私。

順風満帆なアイドル人生は当然だと、彼に言った。

でも、本当はそんなこと無いって知っていた。
それは、彼のおかげ。
それを言うことの出来ない、意地っ張りの砦で覆われた私の心。

だけど、
最近ようやく分かってきた。
人の心が本音で語るには、きっと安心が必要なのだ。
それは、
自分に対する絶対の信頼とかだったり、

・・・他者から寄せられた心の繋がりで、自分の心が満たされたときだ。

残念ながら、私の貧弱な人生経験では
表面上はともかくとして、
本質的なところで私は、私に対してそこまで絶対の信頼を持っていやしない。

まして、他人を始め、親とさえ満足のいくスキンシップを取って来なかったのだ。

私が彼に本音を語るには、
きっと私の心が彼への気持ちで満たされたときになるのだろう。

その時には私は、私を信頼出来るだろうと思う。


彼に対する『ありがとう』の気持ちが溜まる度に、
私の心が満たされていく。
それはまるでコーヒーのドリップのように一滴ずつ。
ゆっくりと、
ゆっくりと。

ぽたぽた、
ぽたぽた。

私の胸の奥に感謝の気持ちが入ってくるたびに、
くすぐったさに身が震えた。
私は彼をより身近に感じられた。

一緒に居るとふわふわと安心する。
一緒に居るとぞくぞくと心が震える。

一緒に居ると暖かくてほっとする。
一緒に居ないとヒンヤリと心が寂しくなるときがある。

彼の言葉で本当の私が一喜一憂する様はぷかぷか浮かぶブイのようで、
彼の動作で本当の私がドキドキする様はまるでアリガチな物語のよう。


・・・それはまるで、『恋』のよう。


ブンブン、と頭を大きく振って頭から余計な思想を追い出す。
最近、こんな風に考えてしまうことが多くなった。
全く、私らしくもない。

ただ、今は『ありがとう』の気持ちをいっぱいにしてみようと思った。
私の心の中に。

相談して、
喧嘩して、
笑って。

彼と一緒に悩んで、無茶を言って困らせたことに『ありがとう』

一緒に喧嘩して、ガミガミと小言を言われたことに『ありがとう』

そして、いっぱいいっぱい、笑顔をくれたことに『ありがとう』

言葉に出来ない私の気持ちを、
忘れずに、
ちょっとずつでも、
私は、私の空っぽの心に溜めていこう。

いつか、私の心が彼のことで満たされたとき、
とっておきの

ありがとう

のために。




引退の日がやってきた。

私は上手くやれたと思う。
引きドロになることが珍しいことだ。
それでも、今日という日にはそれでいい。

だって、私は今から初めてのことをする。

「あ、あ、あああ、I」

私の少し前方を歩いていた彼が、くるりと振り返る。
これが最後なら、きちんと伝えないといけないから。

「あ、あの・・・、い、今まで・・・」

私がシドロモドロになることが珍しいことだ。
それでも、今日という日にはそれでいい。

だって、私は今から初めてのことをする。

「あ、あ、あああ、ああ」

ちょっとずつ、
彼との思い出を引き出しながら、
言葉をかみしめる。

−ありがとう。


「ありがとう・・・・・・って言いなさいっ!!」


そう叫んでから、私は思わず地面に突っ伏した。
な、何言ってるのよ、私はーーーーっ!!

今なら雪歩の気持ちが良く分かる。
うう、埋まってしまいたい・・・。
むしろ、地面に頭を打ち付けてさっきのことを綺麗さっぱり忘れてしまいたいぐらいかも?

「そ、そうじゃなっ」

「伊織」

私がやり直しを要求しようとしたときだ。
彼の声が被さった。

きっと、彼は言ってくれる。
『ありがとう』をだ。
でも、私はさっき気付いてしまったのだ。

まだ、私は満たされていない。
だから、別れるなんて嫌でしょうがない。
そう、私は、

「次はどうしようか?」

・・・へ?

「次はデュオ、いやトリオでやるのもいいんじゃないかっ?
伊織はパートナーは誰がいいと思う?
俺はなー」

なんだ。
彼はまだ私と一緒だ。
私と一緒に居たいと思ってくれている。
こんな私の隣にだ。

あ、今何か胸の奥にすっと、何かが溜まった。
こそばゆい気持ち。
まだまだ私の心には満たされる余地があるようだ。

・・・それにしても、
私の同意も得ないで何勝手に私の『これから』を決めちゃってくれてるのよっ!?

「ちょっと、アンタっ!?
何勝手に決めちゃってくれてるのよっ!
私のパートナーなんてそんな一山いくらの連中につとまるわけないでしょっ!?
ほらほら、私と・・・・
アンタでしっかり選んであげなくっちゃっ!!」

本当に、意地っ張りな私。
言えないのはまだまだ私の心が満たされていないからだ。

ほんと、意地汚い私の心ね。

だから、

ありがとう

は本当の本当に私が満たされたそのとき。

引退のときなんかじゃなくて、
祭典のときなんかじゃなくて、
バレンタインのときなんかじゃなくて、
クリスマスのときなんかじゃなくて、
ただ、私が自分の心を抑えられなくなったときだ。

破裂寸前になったら、バカみたいに叫んでやろう。
私の正直な気持ちと、感謝の言葉を。


貴方を好きになって、
私は、

私を好きになれましたって

(終わり)