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花マルっ! 後編


「一時間お疲れ様でした、プロデューサー。見事な逃げっぷりでしたよ?」

疲労困憊という言葉がぴったりな程憔悴した顔つきのプロデューサーに、
律子が苦笑を浮かべながらも慰めの台詞を掛けた。

「あ、ああ・・・ちょっと疲れたけどな」

 ちょっとだけ混ぜた皮肉にも気付かずに、柔軟体操を始めるプロデューサーの姿が
まだ元気そうであることを確認すると、律子は高らかに宣言をした。


「インターバル、終了五分前!これより二時間目に入りますので、プロデューサーは逃げ始める準備をお願いします!」
「うへぇ!これは、当初考えていたよりもハードだなぁ・・・」

少しは回復出来たのか、しっかりとした足取りでプロデューサーはスタートラインに近づいていく。
談笑するアイドルたちの横を通り過ぎようとしたプロデューサーは、伊織に思いっきり睨まれた。

「伊織、ホントごめんな」

謝罪の言葉を入れても、ふん、とそっぽを向かれる。
こりゃ、当分は機嫌悪いままだな・・・。
伊織のテンション回復策に最も有効な手段は、そりゃ俺が伊織に捕まってやることなんだろうが・・・。
でも、それは出来ない。
今日はもう決めちまったんだ、やよいを勝たせてやるために頑張るってな。


「やよいっち、元気ないぞ→?」
「そうみたいね・・・。高槻さん、具合悪い?」
「え、ううん、大丈夫っ!でも、私こういう誰が一番か決める争いごとみたいなの、今日はちょっとやる気が出なくて・・・」
「それは私も同じよ。まったく、律子はこういう事を止める役割のはずでしょうに、一緒に盛り上げてどうするのよ・・・」
「千早お姉ちゃんは、勝って兄ちゃんに胸を大きくしてもらうといいよ→?」
「あら真美、それは私への挑戦と受け取っていいのかしら?」
「のびぃるのびぃる、痛いいたい→っ!」

 千早が真美のほっぺたをぐいーん、と引っ張っているのを見つめる笑顔のやよいからは、
やはりいつもの元気さをプロデューサーは感じることが出来なかった。

・・・最低限、やよいが立ち上がるまでは負けられないな。
俺の独りよがりかもしれないけど、『勝ってやる』という意識を持てないと、どうやっても勝負に勝つことなんて出来ないし、
『勝った』などと胸を張って言えないものだ。
俺はテストでやよいに花丸なんてあげられない。
だから最高のアイドル、高槻 やよいを見せてくれ。
そうすれば、俺はお前が嫌だって言っても無理やり花丸でもなんでもあげられるんだ。



決意も新たにプロデューサーは、意気揚々と小鳥が待つスタートラインまでやってきた。

「あら、プロデューサーさん、やる気満々ですね?」
「そりゃあそうですよ、この一戦には俺のこの先給料日までの食生活がある意味かかってますからね?」
「ふぅん、・・・ま、そういうことにしておいてあげます」

くすくすと笑いながらそう言う小鳥は、それだけじゃないことにもう気付いているようだった。


「十、九、八、七、六、五・・・」


 律子のカウントダウンに従い、足をぶらぶらとさせ、呼吸を落ち着かせる。


「三、
二、
一・・・」


ぐっ、と足に体重をかけ、前傾姿勢を取る。

「スタートっ!」

掛け声と同時に地面を蹴り、プロデューサーは一気に森の中に入っていった。
『さかさ鬼ごっこ』二時間目・・・開始。



5分後に鳴らされたサイレンをプロデューサーは歩きながら聞いていた。
どうせ下手に逃げたって超能力だか超感覚だか、不可視の力だかで居場所が分かってしまうらしい。
であれば、見通しのいい場所に陣取って、なるべくこちらから相手を発見できるようにしたいという判断だ。
そして、追いかけっこによる純粋な体力勝負なら勝てるはずという判断だ。

・・・さっきの人外バトルは悪夢としてなかったことにする。あんなんやられたらどうしようもないし。

「さて、どうやって逃げたもんかな?」

隠れているだけで大丈夫などと言う希望的観測は捨てたけれども、だからと言って、
常に逃げ続けるなんていう無茶は出来なかった。
何しろ向こうは十人居るのだ。共闘されて挟み撃ちをくらったら一発アウトだろうし、
そうでなくても適当に逃げ回っているだけでは、いくら広い公園とは言え、
複数のアイドルに見つかってしまう確立は高いだろう。


「参ったな・・・って、うわぁああ!」


突然歩いていた地面が消えた。
浮遊感が全身を包み、次に気付いたときには、プロデューサーは暗く固い地面に尻餅をついていた。


「な、何だぁ・・・?落とし穴・・・?」

妙に視界が暗いと思ったら、四方が土の壁に覆われているようだ。
どうやら落とし穴が掘ってあったようであるが、・・・かなり大きい。
プロデューサーが余裕をもって座り込むことが出来るぐらいの横幅があり、
高さも立ち上がればようやく頭がのぞけるぐらい深く掘られている。
子供の悪戯にしては、やけに大仕事だ。

「ひとつ掘っては父のため〜♪」

変な歌が遠くから聞こえた。
うん、変な歌だ。

「ひとを呪わば穴ふたつ〜♪」

物騒な歌詞だ。

「みっつ見かねた悪党を〜♪」

大分近づいてきたらしく、声が大分はっきり聞こえるようになってきた。

「よっつ四葉のくろーばー♪」

チェキー?

「いつか戻るよあの道を〜♪」

まぁ、誰が近づいてきてるかなんて分かりきっている。
というか、落とし穴の時点で出オチだ。
脚本家が自分であれば即リテイク要求だなと、プロデューサーはため息をついて息を潜めた。

「むっつりすけべなプロデューサー!」

「誰がむっつりすけべやねんっ!」

「ひぃやああああっ!すいません、すいませんっ!プロデューサーはむっつりじゃなくて、ただのスケベさんですぅっ!」

しまった、思わず突っ込んでしまった、と反省しつつも、
雪歩がプロデューサーのことをどう思っているのかがよく分かって彼はちょっと悲しくなった。

「って、プロデューサーっ?何処にいるんですかぁ?こ、声はすれども姿は見えず、怖いですぅ」

お前の掘った穴の中だよ、とプロデューサーは思いつつも少し雪歩を驚かしてやろうといたずら心を膨らませていた。

「フハハハハ、ワシはプロデューサーではない。この地に宿る大精霊『プロデューサーン』だ」

とは言え、こんなんで騙されるわけも・・・

「ええっ!そ、そうなんですかっ?すいません、すいません!人違いしちゃいましたっ!」


・・・信じるなよ。


「うむ、ワシは寛容だから許してやろう、さてそこの女子よ。
先ほどからこの地が騒動に巻き込まれておるようだが、何を催しておるのだ?」
「は、はいぃ・・・。あの、鬼ごっこですぅ」
「ふむ、それにしてはやけに禍々しい気配をいくつか感じたが・・・」
「あ、春香ちゃんたちですかね?
彼女たち、今はお互い潰しあってるみたいなんで、騒がしいですよねっ!
すいません〜、代わりに謝っておきます〜」
「・・・そ、そうか」

いきなり春香が名指しとは・・・雪歩、春香嫌いなのかな。
とにかく情報提供には感謝しておこう。
春香たちがすぐに動き出すことはなさそうだ、メモメモ。

「あ、あのぉ〜?」
「なんじゃ?」
「男の人見ませんでしたか?中肉中背よりはちょっと背が高くて、
背広を着てる二十代前半ぐらいの男性なんですけど?」

・・・逆にいきなり質問投げてくるとは、雪歩め、こういう不思議体験では物怖じしないな。
謎の大精霊と普通に会話すんなよ。

「うむ、見たぞ。
さきほど『どうやって逃げたものやら』などと呟きながら公園の西の方に走っていきおった」
「本当ですかっ!
ありがとうございます〜。
それでは失礼しますっ」

雪歩がペコリと頭を下げた気配が伝わり、そしてそのままたったか、と走り去る音がプロデューサーの耳に入った。


もう一度言おう、信じるなよ。
おとーさんは雪歩の将来が心配です。




「・・・よっこらしょ」

なんとかプロデューサーが落とし穴から這い上がると、そこにはもう雪歩の影も形も無かった。
きっと大精霊を信じて西に向かったのだろう。


さて、俺はどうするかな・・・?

「やっりー、プロデューサー、見つけましたよーっ!」

 ・・・一息吐く暇もありゃしないのかっ?

「真か・・・。足も速いし、厄介だな」
「へへっ、そう言ってもらえると嬉しいですねっ、どうします?降参しますか?」

プロデューサーのいる場所からざっと十メートルほど離れた場所に立っていた真は、
ひょいひょいと器用に突き出した木の枝を避けながら近づいてきた。

「あ、ちなみに其処にある落とし穴には気付いてますから、待っていても捕まるだけですよ?」
「そりゃ・・・どうもっ!」

 ちょっとだけそういう展開になったら面白いかも、
とその場を動かずにいたプロデューサーであったが、真が気付いているなら話は別だ。
黙っていれば良いものを、わざわざ宣言してくれた真の言葉を聞いたプロデューサーは、
ダッシュで近づいてくる真とは反対方向へ慌てて駆けていった。


「甘いですよっ、プロデューサー!」
「それなら体力勝負だっ!小細工抜きでやってやる!」
 突然のダッシュにもピッタリと真が付いてくるのを確認したプロデューサーは、
舗装された林道まで出た後もスピードをあげて真を引き離しにかかった。
真も身体能力が高いとは言え、男女の体力の差は易々とは越えられないはず、という判断だ。

「・・・くそっ!」
「なかなかやりますね、プロデューサー!ボクの知り合いの中ではかなり速いほうですよっ!」
「ありがとよっ!」

 だが引き離せない。
一気に追いつかれるなんてことは無いようだが、それでもじりじりと二人の距離が近づいていった。

「持久力なら・・・?
いや、駄目だ。
よしんば真から逃げ切れたとしても、その後が持たない」

 余裕があるうちに打開策を必死に考えるプロデューサーの頭に、『てぃん』という擬音が鳴り響いた。
さきほど、公園内を駆け回っていたときに、一般人を見かけたことを思い出したのだ。


それが、起死回生の手がかりだ!


「・・・とはいえ、あまり気は進まんが」
「何か思いついたんですか、プロデューサー?」
「ああ、逆転の方法を思いついたよっ!」
「じゃあ、ボクもそろそろ本気で行きますよっ!」

 ぐん、と真の走る速度がさらにあがる。
十メートル近かった二人の間の距離が急速に縮まりだす。
プロデューサーはそのことで慌てる様子を見せることなく、ただ、
やはりあの禁じ手を使わざるを得ないと決心しつつ、林道を駆け抜けていった。


「舗装された道じゃあボクには勝てませんよ!」

 真の言うとおり、ガタイの大きさを活かして雑木林を突き進むというのも手であろうが、
逆に小柄な体躯を活かせる真の方が有利とも言える。
なにしろ、プロデューサーの当初の見立てよりも真の身体能力は相当高い。
その上、普段から走りこみもしているらしく、フォームもしっかりしており持久力も期待出来そうだった。
このままではプロデューサーはお縄を頂戴することになるのだろう。

「くっ、策を弄じられたり、罠にはめられたりするんじゃなく、純粋に体力勝負で女の子に負けるわけにも・・・、
いかないんでねっ!」

 プロデューサーは気力を込めて、踏みしめた地面を勢いよく蹴りだす。


あとちょっと、あとちょっとで・・・、目的地だっ!

「えっ?」

二人が追いかけっこをしていた道は公園のメインストリートとぶつかっている。
真はその意味をようやく理解したのだろう。
メインストリートに入る十字路で立ち止まると、思わず驚いた声をあげ辺りを見回した。
このメインストリートは通学路にもなっている。
昼下がりという時間帯もあって、制服姿の女子中学生と思われるいくつかのグループが歩いていた。

「俺の・・・勝ちだな」

 ニヤリ、と笑ったプロデューサーはすぅ、と息を吸って大声で叫んだ。


「あっ、こんなところに売れっ子アイドルの菊地 真ちゃんがいるっ!」


「うわっ、反則ですよ!」

 真が反射的に頭を抱えて顔を隠そうとする。だが、それよりも早く、

「えっ・・・キャッ!本当っ!」
「きゃーきゃーっ、真さまーっ」
「うわー、本物はすごい、かっこいー」
「すいません、サイン貰ってもいいですかー?」
「写真撮ってもいいですかー?」

 一気に高速で移動してきた十数人の女子中学生に真は囲まれてしまった。
 ・・・そこ!純粋な体力勝負じゃなかったのか?
とか突っ込みは禁止だぜ?
こういう状態になってしまえばファンを誤魔化すことも、放っておくことも真には出来ないだろう。
対応に追われる真を尻目に、プロデューサーは颯爽とその場を後にするのであった。


 ・・・後で律子から怒られそうだなぁ。いやいや、
こんな部外者が大量にいる場所でイベントを唐突にやる社長が悪い、うん、そういうことにしておこう。



「さて、残り時間は・・・げっ、まだ三十分もあるのか」

真を振り切ったのはいいものの、全力疾走はプロデューサーの体力をかなりの勢いで削り取っていた。
もう一度、この時間内にあのレベルの追いかけっこがあったらヤバイなとプロデューサーは判断し、
さっさと別の場所に移動しようとして顔を上げた。
 だが、えてしてピンチは連続してやってくるものだ。
プロデューサーは引きつった顔で前方を見据えている。
彼の目にはざっと五十メートル向こうにキョロキョロと『獲物』を捜している二人の人物が映っていた。
次から次へと見つかってしまう今までのゲームの経過を思い出したプロデューサーは、
逃げることすら忘れて己の幸の薄さを嘆いた。


・・・だが、まだ見つかっていない。どうか、どうか気付かないようにと祈るだけだ。


しかし、彼の祈りむなしく追跡者たちは足を止めた。
互いにひそひそと何かを喋りあったと思ったら、プロデューサーの居る方向へとくるりと振り返った。


・・・気付かれたっ!


プロデューサーは叫ぶよりも早く駆け出した。
さきほどと同じ全力で走ったつもりだが、もう大分スピードは落ちている。もはや疲れはピークに達しようとしていた。
必死に逃げ惑うプロデューサーは別れ道を右に入っていった。
後ろを確認すると、案の定二人の追跡者がぴったりと着いてきていた。
さっきは五十メートルなどといったが、とんでもない。
もうそんなには離れていない距離だった。
いかに体力にはそこそこ自信のあるプロデューサーとはいえ、連続で走り続けるのは困難だ。
・・・そして、それを悟ってしまうと早かった。
息をするのもつらくなり、不規則な呼吸となってしまう。
それが余計に体力を奪った。

「も・・・もう、ダメか・・・」

喉がからからに渇くわりには、唾がベタついて呼吸が詰まる感覚がある。
ふと漏れてしまったプロデューサーの声も途切れ途切れなモノになっていた。

「おいおい、何言ってやがる、諦めるな!」

 突然真横から聞こえた声に、プロデューサーは耳を疑った。

「・・・げ、・・・幻聴?」

「・・・お前・・・一人で逃げろ!」
「そんなこと出来ないよっ!」
「バカやろうっ!このままじゃ二人とも・・・」
「・・・それでもっ、それでもっ!」
「いいからっ、ここは任せろっ!」
「何やってるんだよ!早くこいっ!」
「お前こそさっさといけっ!」
「でも、でも・・・」
「迷うなっ!行けっ!」

 ・・・気付いたら、普通に追いつかれていた挙句、真横で双子が二人で何者かに追いかけられた末に、
追いつかれて一人が犠牲になって助かる、というアリガチなパターンの寸劇を演じていた。

「うっ、うわあああああっ!亜美っ!真美っ!」

「おっ、ようやく気付いたか→」
「兄ちゃん、足遅いね→っ」

・・・うっさい。真との勝負の後で、体力なんて残っていないんだ。
勘弁してください。
プロデューサーは何時でも何処でもマイペースな双子にこんな状況でも振り回された結果、
完全に体力を使い果たして芝生の上に座り込んだ。
待ってましたとばかり、ぜぃぜぃ、と乱れた呼吸を直そうと今日は大活躍すぎる心臓が活発に働き始めた。

「おや、兄ちゃん、もう降参?」
「情けないぞ→?」

二人にやんややんや、と囃し立てられる。
それでも、文句も言い訳の一つも出てこないくらいにプロデューサーは疲れきっていた。

「「ダブル双海の敵ではなかったか→!はっはっは」」

「ちょっと待て、それは禁則事項だ」

プロデューサーは疲労困憊の身体に鞭打って、危険発言にすかさず歯止めをかける。
しかし、言っていることはどこも間違っていないし、そもそも何をパロディにしたネタか、
なんていうのはとっくにバレバレなのだから、隠す必要なんてないだろう。
というか、『禁則事項』という言い回しも変である。
しかし、このまま捕まってしまっては、ゲームオーバーである。
プロデューサーはこの二人なら通じるかも、と奸計をめぐらすことにした。

「亜美真美、・・・取引しないか?」

「取引?」
「おっ、兄ちゃん、何企んでやがる→」
「ああ、ここでお前らが俺を見逃してくれたら・・・」

さて、選択肢だ。俺はどんなカードをきるべきか?

@ 亜美の下僕になる
A 真美の婿になる
B 二人両方へのご褒美を提案
C 某カロイドを加えて四つ子として再デビュー
D 殺してでも うばいとる

・・・まぁ、当然Bだな。
というか、Dは出来ないだろ。
そもそも意味分からんし・・・、まぁお約束ということで許してもらいたい。

「二人ともに何かプレゼントを買ってやるか、何処かに連れて行ってやるかしてやるぞ?
お前たちはここまで二人で来たけど、俺を捕まえられるのは一人だけなんだ。
どっちが捕まえても、俺はソイツの言うことしか聞けない。
だったら、俺の提案を受け入れるのも一つの手だとは思わないか?」
「むぅ・・・」
「確かに・・・」
「ねぇねぇ、真美、どうする→?」
「真美はねぇ→、受けてもいいと思うよ→」

二人ともプロデューサーに対して、
自分だけに普段出来ないような特別な何かがしてほしいという欲があるわけでもない。
勝ったとしても頼むことはそう変わらないし、どうせなら三人で楽しめるものにした方が良い。
であるなら、答えは決まっている。

「そだね→、兄ちゃん、亜美もおっけ→」
「でもでも→、次の一時間ではまた追いかけるよ→」
「それでまた捕まえたら、もう一回兄ちゃんに言うこと聞いてもらうぜ→」
「うーん、それは仕方ないけど、お手柔らかに頼みたいなぁ・・・」
「「それは駄目→♪」」

亜美と真美はにっこりと笑顔を浮かべながら、そう宣言した。
プロデューサーはそんな二匹目のドジョウを狙う二人に苦笑を浮かべることしか出来なかった。




結局、二人から見逃してもらったプロデューサーは安堵の息を吐いた。
少々反則かもしれないけどこれも一つの方法だろう、と自分を納得させずっと座り込んでいた芝生から腰をあげた。
ズボンについた落ち葉や泥をぱんぱんと手で叩いて落としながらも、プロデューサーは土を踏む音を聞いた気がした。
ぴたり、と動きを止め、プロデューサーはゆっくりと首を巡らし音の出所を探った。


しかし、音はすれども姿は見えない。


がさっ、がさっ、という音がどこからか聞こえてくる。
離れていく気配はない。どうやら、プロデューサーと同じように何か不審な音でも聞いたのか、
彼がこの辺りにいると見当をつけているようだ。
じっ、と息を殺し、たまには見つからずにすんでくれよ、というプロデューサーの祈りに応えるかのように捜索音が止んだ。


・・・諦めた?


プロデューサーがそう思った瞬間だ。


ジリリリリっ、ジリリリリリっ


 突如、プロデューサーの携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。

「うわぁっ!」

 思わず声を上げてしまい、しまった!
とプロデューサーは慌てて携帯の電源を取り出し、音を切ろうとしたがもう遅かった。

「プロデューサー、見つけました」

すぐ背後から聞こえた声と同時に携帯電話のコール音が途切れる。
プロデューサーの携帯のディスプレイには、


『不在着信 如月 千早』


としっかりと表示されており、振り向かなくても相手が誰だかよく分かった。
便利な機能である。


「やれやれ、反則じゃないかソレ?」
「ふふっ、マナーモードにでもしておけば良かったじゃないですか」

 策が上手くいったからか、ちょっとだけ上機嫌な千早にプロデューサーの抗議は軽く流されてしまった。
それから千早は一転して、ため息混じりにゲームの現状を話し続けた。

「大人しく捕まってもらえませんか?春香や美希たちが大暴走してて大変なんです。
芸能記者にでも目撃されたら大変です」
「うーん、むしろ警察を呼ばれそうだよな、あそこまでいくと」
「分かっているならもう捕まってください。
この騒ぎを終わらせることが私の目的ですから、別にプロデューサーには何も要求しませんから」
「そりゃ魅力的な提案だな」

 苦笑を浮かべながら告げるプロデューサーに千早も同じように苦笑して続けた。

「それとも皆を納得させるために、ボーカルレッスンの追加でもお願いしておきましょうか?」
「ああ、それなら千早らしいし、皆も不満を言いながらも納得してくれるだろうけど・・・」

「・・・何かあるんですか?」

どうにも歯切れの悪い返事をするプロデューサーに気付いたのだろう。
千早はいぶかしんだ顔をして彼に問いかけた。

「ま、大したことじゃないんだけどな。
さて、千早、これだけは確認させてくれ。
・・・やよいは、ちゃんと参加しているか?」
「え?高槻さんですか?
・・・そう言えば、具合も良くなさそうですし、あまり本気になっていないようでしたね。
普段の高槻さんであれば、もっとやる気になっているような気がします」
「そっか・・・」

 プロデューサーはかぶりを振った。それならば、千早の提案には・・・

「千早」
「何ですか?」
「すまん、お前の提案は受け入れられん」
「・・・そうですか」

千早の目がかすかに泳いだ。
断られるとは思っていなかったし、断られたことに何かを重ねてしまったのかもしれない。

少しだけしんみりとした場を誤魔化すかのようにプロデューサーがぽつり、と洩らした。

「やよいがやる気を出すまでは少なくても、俺からは捕まるわけにはいかないんだ」
「それは一体?」

千早は左手で胸を押さえるような仕草をしながら、搾り出すような声でそう言った。
プロデューサーはピンチな状況にいることには違いない今の状況だ、
話しているうちに二時間目がタイムアップするのではないだろうか、と咄嗟に考え千早の質問に答え始めた。

「ああ、実はな・・・」

プロデューサーは小さい頃、花丸を貰えなかったやよいを褒めてあげたい、
いつでも精一杯頑張るやよいの努力は評価されるんだって教えてあげたいとポツポツと言葉を重ねた。
でも、やよいは結果がないと褒めるのは違うという。
それならば、やよいに勝つために頑張ってほしい、それで勝ったやよいをいっぱい褒めてやりたいと続けた。


「え?あ、そんな理由なんですか?」

 千早は呆気に取られたかのような顔でプロデューサーに問いただした。
どんなすごい秘密があるかと思ったら、花丸とは・・・、気勢を削がれた気分だった。

「そんな理由ってな・・・、俺にとっては大事なんだよ」
「ぷっ、あはっ、あはははははっ!」

千早は憮然としながらも本気でそう考えているプロデューサーを見て、こみ上げてきた笑いを止めることが出来なかった。
同時に自分のことを思い出す。
私も同じだ。
学校の先生ではないが、思春期に入る前には不幸なことがあって両親の仲が悪かった。
そのせいか機嫌の悪いことが多かった両親はテストで私が良い点を取っても、
歌のコンクールで賞を取っても褒めてもくれなかった。
だから、私は他人が認めてくれる歌により傾倒していったというのも、もしかしたらあったのかもしれない。
そんないっぱいいっぱいな時にどうでもいい事で褒められたらどうだろう。
自分の人格をただ褒めて貰えたらどんな気持ちになっただろう。
自分を信じて、ただ待っている人が居ることを知ったら、どう思っただろう。
ああ、全くこの人はなんてバカなんだろう、全く、・・・なんて嬉しいことをしてくれるんだろう。

「分かりました。・・・そういうことなら私が協力します」
「ええっ?」
「私も、高槻さん・・・いえ、やよいのお姉さんみたいなものですからっ」

ようやく笑いの収まった千早の言葉に驚いた顔を浮かべたプロデューサーに、千早は飛びっきりの笑顔でそう答えた。



・・・やよい、貴女は幸せね。



千早は可愛い自分の妹分に『勝つために頑張ること』を教えてあげようと思った。
他人を否定して歌だけに取り組んできた千早が、他人に教えられることはきっとこれだけだ。
・・・だからこそやよいにも伝わるはずだ、それが自分のやるべき事だ、と決心した。

『ウ〜ウ〜』

 千早との話を終えると同時に、懐の携帯がやかましいサイレン音を鳴り響かせた。
二時間目も無事に終えることが出来たプロデューサーがほっ、とため息を吐いて呟いた。

「あと一時間・・・か」



『さかさ鬼ごっこ』ニ時間目・・・終了





インターバルも終わり、プロデューサーが

「もう無理だー、助けてくれー」

と泣き言を言いながらも逃げ出した後の、五分間の待ち時間である。
互いに牽制しあって結局プロデューサーを追いかけることすら出来なかった春香たち四人や、
ずっと探し回った挙句不毛だったり、ファンとの思いもかけぬ交流をしたりで疲労困憊な雪歩と真、
マイペースに二人でひそひそと内緒話をしている亜美と真美。
そんな中、千早はやよいに目を向けた。

・・・なるほど。やっぱり元気がないみたいね。

千早は決心を固め、座り込むやよいに近づくと声を掛けた。

「やよい、ちょっといい?」
「はい?何ですか、千早さん?」

やよいは、いつもは彼女は自分を『高槻さん』と呼んでいたようなと首を傾げながらも、千早に顔を向けた。

「あ、・・・あのっ」

気負いした様子のないやよいに対して、千早はかなり緊張していた。
こういったことには慣れていない。
何と言うか『諭す』ということをした経験が、彼女にはなかったのだ。
一度、すーはー、と深呼吸してから改めてやよいに向き直った。

「やよひっ?」

声が裏返った。
千早の顔が瞬時に真っ赤に染まり、くるりとやよいに背を向けた。
そしてそのままブツブツと自己暗示を始める。

「私は出来る私は出来る私は出来る私は出来る・・・」
「あ、あのぉ・・・?千早さん?」

やよいは千早の突然の奇行に少し怯えつつも、それでも千早の言葉を待っていた。

「やよい、貴女このイベントに全然やる気を出していないんじゃない?」

立ち直った千早が、ようやく話を切り出した。
やよいが何かを言い出す前に畳み掛けるように言葉を重ねる。

「思いつきだけのくだらないイベントだから?
そうね、少なくても私はそう思ってるし、必要以上に頑張るべきことでもない企画よね。
でも、でもね。
やよい、今逃げ回っているあの人は、貴女のために必死に逃げているのよ。
約束したわけじゃない、何か言ったわけでも、思わせぶりな態度をとった訳でもない。
それでも、貴女がふと言った個人のちっぽけな悩みのような一言を本気で捉えて、
貴女にそのチャンスを与えようと懸命に頑張っているの。
それなのに・・・やよい、貴女はそんな彼の姿が見えないと言うの?それは・・・」

ごくり、と千早は息を飲んだ。

「プロデューサーに対する裏切りよ。」

千早は早口で言い切った辛らつな言葉をやよいがどう受け取ったのか知るのが怖かった。
だから俯いて、やよいと顔を合わせないように、じっと自分の靴先を見つめていた。

「千早さん」

だから、その時やよいがどんな表情をしていたのかは、分からなかった。

「ありがとうございます」

ただ、お礼を言われたことはよく分かった。

「私、バカだから、気にしない、なんて言っても気にしちゃってて・・・。
それでずっと元気無くてバレバレで・・・、プロデューサーには迷惑掛けて、千早さんにも心配してもらって・・・」

やよいの声が少し震えていた。

「えへへ、やっぱり私ダメダメですね。
ぐしゅ、こんな私、やっぱりアイドルなんて・・・」

千早は、はっとして顔を上げた。

そうだ、私が俯いてどうするのだ、私はやよいに伝えることがあったんだ。
頑張れ、私。

やよいの瞳に涙が滲んでいるのを見て、一瞬怯んだ千早は、それでもやよいを力強い視線で見つめた。

「やよい、勝つために頑張りなさい」
「え?」
「やよいの努力は私たちは皆知っているわ。
歌も、ダンスも、笑顔も、やよいの努力を私たちは知っている。
だから、今度は勝つための努力をなさい」
「あの・・・千早さん?」

やよいには千早の言葉は良く分かっていないようだった。
きっと、この子は今までそれを考えたこともなかったんだろう。
でも、貴女もそれを心の奥底では望んでいる。だから落ち込んでいる、今のままでは駄目だと思っているんだ。
それは同じトップアイドルを目指すライバルとしては決して与えてはいけない言葉、
でも貴女は私の大切な後輩だから・・・

「やよい、貴女が望む花丸は、たった一人にしか与えられないの。
だけど皆がそれを欲しがっているから、あなたも本当にソレを欲しいと望むのなら、・・・勝たないといけないわ」

具体的なことなんて何も伝えられない。
だって、千早にもまだまだ頂点なんて見えていない、でも、
それを目指して愚直に足掻いてきた千早の言葉は、・・・きっとやよいに届くだろう。

「ありがとうございますっ!」

二回目の感謝の言葉と同時に、やよいは思い切りよく頭を下げた。
そして、顔を上げたやよいはゲームがスタートしてから初めて、迷いの晴れたような表情を見せていた。

「そう、良かったわ。私の拙い言葉でも少しは伝わったみたいで」

優しい笑顔を浮かべた千早に、やよいもにっこりと笑顔を浮かべた。
実を言うと、やよいは千早が言いたかったことなど良く分からなかった。
それでも、やよいは初めて『勝ちたい』と本気で思った。
それを伝えてくれた千早への感謝だった。

やよいは何時だって、どこか一番になることを諦めていた。
勉強も運動も品格も、貧乏な庶民の自分が一番になるような人に及ばないのは、ある意味では当然だと思っていた。
でも、本当に得たいものがあるのなら、それを信じてくれる人が居るなら、
諦めたくなんてないって、裏切りたくないって、勝ちたいってやよいの心が訴えていた。

そうだ、今日だって、自分より他の子たちの方がプロデューサーに頼みたいことががあるみたいだから、
譲ったほうが良いと心のどこかで考えていた。
でも、プロデューサーを他のアイドルに譲ることが良いなんて、違う。
私がたった一人の『彼のアイドル』であることを諦める必要なんて・・・ないんだ。


・・・これが最初の一歩。
アイドル、高槻 やよいが踏み出す、勝ちあがるための第一歩。




うずうずと携帯電話が鳴るのを待つやよいを見つめながら、
千早は今日のところは花を持たせてあげよう、と決意していた。
そのためには、どうせあの人間離れしつつある彼女たちからプロデューサーが逃げ切れるとも思えない。
彼女たちをどうにかして抑える必要があるだろう。

「さ、そろそろ時間よ、いってらっしゃい」
「なんだか、千早さん、お姉ちゃんみたいっ」

その言葉に千早は戸惑った。
『姉』という言葉は千早にとって苦痛でしかなかったはずなのに、やよいの言葉がひどく嬉しく感じた。
ゆっくりと息を吐いて、少し涙ぐみそうな瞳を隠してやよいに話しかけた。

「そうね、私もやよいのこと、妹みたいに思っているわ。
・・・それから、プロデューサーに会ったら、慣れないことをしてとっても疲れたから、
後で甘いものでもご馳走して下さいって伝えといて?」
「うんっ、伝えとくねっ、行ってきます!
・・・千早お姉ちゃん!」
「・・・いってらっしゃい」

千早はそのままスタートラインに走っていくやよいを見つめると、気を取り直して呟いた。

「・・・さて、私にあの子たちが止められるかしらね」



やよいがスタートラインに辿り着こうとした瞬間、

『ウ〜ウ〜』

開始の合図が鳴り響いた。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・開始。

やよいは合図を聞くと同時にスタートラインを越えて走り出した。
丁度スピードに乗っていたため、ぐんぐんと速度を上げてそのまま最初にプロデューサーを追いかけていった。

「「やよいっ?」」

スタートラインのすぐ傍で互いに牽制しあっていた春香と美希の視界にやよいが映って消える。
慌てて視線を前方に移し、自分たちも二時間目と同じ轍を踏むわけにもいかないと走り出そうとした。

「そうはいかないわ」

が、その二人の足は、いつの間にかスタートラインの向こう側に、
進路を遮るように立っている千早の姿を確認して止まった。

「皆も、・・・悪いけどここから先へは通しません」

強い口調で断言した千早に残ったアイドルたちの顔に戸惑いが過ぎった。
なんだかんだ言って、所詮余興なのだ。
そんなに真剣になるなんてことは・・・

「そう、じゃあ、・・・倒すね?」

たった一人を除いていなかった。

千早がすぐ後ろから聞こえた声にぎょっとして振り向くと、
そこには春香が最早デフォルトと化した日本刀を携えて立っていた。

「千早ちゃん、どうせ止められないんだから、やめておけば?」
「・・・ええ、そうね。
春香はホントいつの間にか人間離れしちゃって、私ではどうしようもないわね」
「そう?だったら・・・」
「ええ、今日以外はどうしようもないわ!」

千早は叫ぶや否や、大きく腰を回転させまわし蹴りを春香に向けて放った。
長髪が大きく翻り、ぐっ、と力強く伸ばされた彼女の足が本気を伺わせた。

「とっととっ?」

春香は慌てて避けたものの、予期せぬ反撃にスタートラインのすぐ傍まで下がってしまっていた。
驚きのあまり、素の表情できょとんとした顔を千早に向ける。

「さぁ、これで私の本気が分かったでしょう?」

千早は残りのアイドルたちにも聞こえるように、そして自分を鼓舞するかのように宣言した。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・一分経過。



「・・・それにしても、やよいが追いかけてきたらどうするかな?」

 千早が他のアイドルたちと死闘らしきものを繰り広げている頃、プロデューサーはぼんやりと呟きながら歩いていた。
二時間が経過し、見つかるときはどうあがいても見つかるのだから、
むしろ見つかるまではのんびりと体力を温存しておいた方が良い、よく分からない悟り方をしていたのである。

「いや、それよりもなんかよく分からない力を秘めた春香たちや、
体力勝負で負けてしまう真に見つかったときの心配をしておいた方が無難だな・・・」

プロデューサーは今日何度目かも忘れたため息を吐いてから、
ぶるぶると首を振ってそんなありえそうな未来の想像を追い出した。

千早が協力すると言ってくれた以上、きっとやよいはプロデューサーを本気で追いかけてくるだろう。
そのときは、

「うん、自分一人で考えられなかった罰だ。とことん本気で逃げてやろう」

・・・きっと、やよいもそれを望んでいるはずだ。さて、やよいは今は何処を捜しているのかな?
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・十分経過。



「でもでも、プロデューサーは何処にいるんだろ〜?」

やよいが捜し始めてから、約二十分が過ぎている。
未だプロデューサーを発見することも出来ず、やよいは少し不安な気持ちに襲われていた。
この公園はやはり大きく、一応は捜していた二時間の間でも見つけることなんて出来なかったのだ。
それをいくらやる気を出したからと言って、一時間でプロデューサーを見つけて捕まえるなんて・・・。
段々大きくなっていく不安を、楽しいことを考えて吹き飛ばそうととやよいは歌を口ずさみ始めた。


「いつものバス飛び乗り〜♪」


プロデューサーに声が聞こえていれば、例え近くに居たとしても逃げられてしまう、ということを失念しているらしい。
辺りに響くほど大きな声でやよいは『ポジティブ!』を歌い始めた。


「悩んでもしかたない♪」


今の自分にはある意味相応しい歌かもしれない、と陽気な調子で声を張り上げる。


「ま、そんな時もあるさ あしたは違うさ♪」


そこまで歌って、自分の姿をふと振り返った。
明日から?そうじゃないそれじゃあ遅い、やよいは自分の頬をぱちーんっと両手で叩いた。
そして両手をぐっ、と空高く振り上げた。


「明日からじゃないっ!今日から頑張るって決めたもんっ!」


やよいは自分に言い聞かせるようにそう言うと、前方に注意深く視線を向けた。
この辺りには・・・きっと、いないっ!
そう判断するや否や、やよいは勢いよく別の場所を目指し走り出した。
「プロデューサー、・・・私、絶対に捕まえてみせますからっ!」
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・三十分経過。



プロデューサーは首を傾げていた。
何しろ、三時間目に入ってから今まで、一人のアイドルとも出会っていない。
注意深く、出会っても先手を取れるようにきょろきょろと辺りを窺いながら歩き回っているのに、
姿を確認出来たアイドルは一人としていない。
よほど運が良いのか、それとも別の要因が働いているのか・・・?
頭を悩ませながらも、この二時間超の逃亡生活で培った危険察知能力をフル活用して周囲の安全を確認する。
・・・分かりやすく言えばコソコソと動き、きょろきょろと辺りの気配を探り、
そしてなるべく足音や衣擦れの音を出さないように気を配る、
という程度のことなのだが。
傍から見るとどう見ても泥棒、それもコントの笑いを誘う偽者チックなものに留まっていた。
所詮二時間の結晶ではその程度である。

「うん、この辺りも誰もいな・・・っと!」

油断の現れかぽつり、と漏れた言葉を慌てて飲み込む。
そして改めて抜き足差し足っぽい感じでその場を後にする。

さらに林の中をゆっくりと進んでいくと、いつの間にかスタートの近くにまで戻ってきていたようだ。
別に最後にスタートまで無事に戻って来ること、なんていうルールにはなっていないのだから、
スタートの傍に居る必要なんてない。
裏をかくという意味ではなかなかオイシイ場所ではあるが、
そこが出発点である以上、どのアイドルも起点にしている可能性がある。
誰かに見つかって逃げ出した場合、別のアイドルとも接触する可能性は非常に高いだろう。
・・・よほどの自信が無ければこの辺りには隠れない方が良い。
そしてプロデューサーには自信がないらしい。
ぶるっ、と何かを感じ取ったのかのように大きく身体を震わせると、
そそくさとこの場を後にして、再びスタート地点から離れていく方向へと歩いていった。

そのほんの一分後。

「あらあら〜、美希ちゃん、いい加減諦めてくれないかしら〜。運命の人はきっと別にいるわよ〜」
「あずさこそ、ハニーとラブラブになるのがミキなのはもう天地創造の昔っから決まってるんだから、
大人しく別の人が運命の人だと分かって欲しいの」

ドタドタ、と喧しい足音を立てながら、あずさと美希の二人が睨みあいながらその場を通りすぎた。
プロデューサーが立っていた場所を過ぎると、ピクリ、とあずさのびょんと飛び出た一房の髪が動き、
美希の顔が嬉しそうに綻んだ。
二人で同時に同じ方向に足を踏み出そうとして、どかっ!と大きな音をたてて肩と肩がぶつかり合う。

「あらあら〜、年功序列って言葉を知らないのかしら〜」
「あふぅ、運命の人って言い方ね、ミキは電波入ってると思うの」
「ハニーなんて頭の中がお花畑の人しか使わない名称だと思うのよね〜」

二人の視線が見えない火花を散らしながら交錯した。

「・・・年増」
「・・・ゆとり」

牽制の言葉を投げかけながら、自分のセンサーに従って二人は歩き出した。・・・もちろん、同じ方向へ。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・四十五分経過。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

やよいが息を切らして林道を走りぬける。
言葉では言い表すことの出来ない微かな感覚を頼りに、
さきほど居た場所からちょうどスタート地点を挟んで公園の反対側にある場所まで、やよいは辿り着いていた。

「はぁっ・・・、多分、この、はぁっ・・・、辺りっ!」

時間的に、もう大掛かりな移動は出来そうにない。
やよいはきっとここだと自分の勘を信じて、息を整えながらも早速プロデューサーを捜し始めた。

「・・・あれ?」

捜索を始めたやよいの視界に二人の人物の姿が映った。
その発見された二人こと美希とあずさは、やよいに気付くことも無く分かれ道を左の方向へと迷わずに突き進んでいく。
その後に続き、分かれ道までやって来たやよいは首を傾げた。
どうして左を二人は選んだのだろう。
・・・考えても答えなんか出ない。ならば、自分を信じるだけだ。

「ん〜〜〜〜〜〜っ!こっちっ!」

やよいは直感で右を選ぶと、そのまま右方向へと一気に走った。
何と無く、こっちに今一番会いたい人が居るような気がした。

「見つけたっ!」

やよいはそれからすぐに彼の背中を発見した。
暑かったからかどうかは分からないが、背広の上着を縫いでワイシャツ姿となったプロデューサーが、
ギョっとして、それからやよいの懸命そうな顔に気付いて、心底嬉しそうな顔をした。

「プロデューサーっ、捕まえますっ!」

やよいは宣言すると同時に駆けた。プロデューサーが驚き慌てて逃げ出そうと構えた。
残り、五メートル
四メートル
三メートル
プロデューサーがようやく走り出し、ぐんと加速する。
二人の差が縮まらなくなった。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・五十五分経過。



残り、五メートル。
じりじりと差が広がっている、やよいはそう感じていた。
体力にはそこそこ自信はあったが、如何せん大人と子供、地力に差がありすぎるのだ。
むしろ、やよいは健闘していると言えるだろう。


でも、頑張るだけで終わるのは嫌っ!


やよいが地面を蹴った。
勝つために頑張る、じゃあ勝つためにはどうすればいいのか、それを考えないといけない。
やよいは酸欠を訴える頭で、どうすれば勝てるのかを一生懸命考えた。
やよいの今のスペックでは残りわずかな時間でプロデューサーを捕まえることなど出来ない。
そんなことはもう分かりきった事実だ。
やよいが今よりも急に足が速くなることなんてありえない。
じゃあ・・・


プロデューサーの足が遅くなればいい。


「プロデューサー、ここにいるよ―――っ!」

 肺にたまった空気を全て吐き出すかのような勢いでやよいは大声を張り上げた。
思わずぎょっとして走る速度を落としたプロデューサーがこちらを振り返る。
だけど、やよいの狙いはただプロデューサーを怯ませるためのものではなくて・・・

「あ、ホントだぁ。プロデューサー、ようやく見つけましたぁ」
「あんたも年貢の納め時ねっ!」

右斜め前方と左斜め前方から雪歩と伊織が声を聞きつけてこの場に現れた。
二人を見たプロデューサーは急制動をかけさらに速度を落とし、
待ち構えている二人よりもかなり手前にある細い獣道に逃げ込んだ。
やよいは走る速度を落とすことなく、そのままプロデューサーの後を追った。
もう二メートル。
腕を懸命に伸ばせば届きそうな距離だ。
やよいは最後の力を振り絞って、悲鳴を上げる足をさらに踏み込んで、スパートを掛けた。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・五十七分経過。



春香が千早をようやく振り切ったのは、三時間目開始から五十分も過ぎた頃だった。
春香以外のアイドルたちが足止めをくらったのは三十分ぐらいだったろうか。
どれだけ千早が頑張ったのかは想像に難くないが、ただ、
春香にはどうして千早がそこまでして自分たちを食い止めようとしていたのか理由が分からなかった。
しかし、それも無駄な努力だ。
春香に残された時間はわずか三分も無いが、それでも充分だ。
プロデューサーの今の位置からなら、確実にここを通り抜けるだろう。
後は、通り抜ける瞬間に彼にぽん、と触れてやればいいだけだ。
難しいことなんて何もない。
春香は、何をお願いしてみようか、とわくわくと心躍らせながら、今か今か、と彼を待ちわびていた。


「来たっ!」


ぱぁっ、と顔を桜色に染め、プロデューサーを発見した春香は、すぐに後ろに続くもう一人を視界に入れる。
同時に、千早が何をしようとしていたのか分かった気がした。
仕方ないかなぁ、といった表情を浮かべた春香は、彼らが走り抜けるのに邪魔にならないように、一歩横にどいた。
プロデューサーが春香に気付き、どうしたものか、と躊躇の表情を浮かべる。
それを見た春香が、首を振ってそのまま行ってください、とジェスチャーで示すと、
プロデューサーはそのままの勢いで春香の横を走り抜けていった。
春香はそのすぐ後に続く、小さな後輩に向けて叫んだ。

「やよい、もうちょっとよ!頑張って!」

「は・・・はいっ!」

 声援に応えるのもつらいだろうに、やよいは健気に返事をしてくれた。
それが嬉しくて、そのまま二人が駆け抜けていった方向へ、春香は笑顔をこぼす。

「良かったの?」

遠目に状況を見ることが出来たのか、ようやく追いついてきた千早が春香に尋ねた。

「まぁ、しょうがないでしょ?やよいは私の大切な妹分だもん」

『しょうがない、しょうがない』と春香は零しながらも嬉しそうであった。

「そうね、本当にしょうがないわね」

千早もそう言うと、二人は私たちは何をやっているのだろうと、くすくすと笑いあった。

「でも千早ちゃん、それならそうと言ってくれれば私だって協力したのに」
「あら?そうだったの?ごめんね、春香。貴女があんまりにも鬼みたいな形相で睨んでくるから、言い出せなくて」
「ひどいよっ、千早ちゃんっ」

春香が、がーんっとショックを受けた表情で千早に詰め寄る。それを見ながら、千早はまた笑い出した。
『さかさ鬼ごっこ』三時間目・・・五十九分経過。



後五十センチ。
後三十センチ。
もうっ・・・少しっ!

やよいが両手を伸ばして、プロデューサーに触れようとしたそのときだ。

「えっ?」

やよいの足元に木の根が突き出していた。
木の根に躓いたやよいには、全力疾走な上、両手を伸ばした格好であったためバランスを取ることも出来なかった。
走りこんだ勢いのまま、やよいは頭から地面に倒れこんだ。
びりびりとやよいの腕と頬、それから膝に痛みが走る。幸か不幸か、動けないほどの痛みは感じない。
擦り剥いた程度だろう。
それでもじんじんと痛み出した傷で引きつった顔を持ち上げたやよいは、プロデューサーの姿を見た。
逃げることも忘れた彼は、心配そうにやよいの傷を確かめながらも、それでもやよいに近づいては来なかった。

うん、そうです、大丈夫ですっ!プロデューサー。私は、そんなに弱い子じゃないんですっ!

やよいは痛みに顔をしかめながらも一気に立ち上がり、再び走り出す。
そのまま、大きく地面を蹴り空を飛んでみせた。

「はいっ!た―――――――っちっ!」

大ジャンプをして、プロデューサーの胸にそのままの勢いで飛び込んだ。
飛びついてきたのは女の子とは言え、人一人分の重さだ。
疲れきった身体ではさすがに耐え切れるものではなく、
ごろごろとプロデューサーはやよいを抱え込んだまま地面を転がった。
地面に寝転ぶプロデューサーに、抱え込まれたまま上に被さる格好になったやよいがべたーっと寄りかかりながら、
両腕でプロデューサーを抱え込んでにっこりと笑った。


「ぷろでゅーさーっ、つ―――かまえたっ!」


笑顔でそう宣言するやよいの声と同時に、本日計六回鳴らされた最後のサイレンが鳴り響いた。

『さかさ鬼ごっこ』全時間割終了・・・。





「えー、正直、私たちは置いてきぼりにされた感がありますが、表彰式を開始します」
「そうですね、もう何が何だか・・・」

司会兼審判と言いながら、ほとんど何もしなかった律子と小鳥があえなく捕まったプロデューサーの両脇に立ち、
その対面にはアイドルたちがぞろぞろと並んでいた。
よく状況を理解していないアイドルも多い最中、スタートラインのある公園の広場で表彰式が始まった。


「えーと、何だか色々あったみたいですけど、特に大きな事故はなくて良かったです。
やよいは大したことないと思うけど、事務所に戻ったらちゃんと治療するから覚悟しておいてねー」

律子の言葉にやよいがうなだれる。
結局、ちょっとした擦り傷だけだったので、持参していた救急箱の活躍により、消毒と応急処置は既に済んでいる。
やよいはそのときの痛みを思い出したのかもしれない。
・・・身体が資本のアイドルなのに、その身体を大事にしなかった罰として、ワザと痛くされたのかもしれない。
プロデューサーは律子ならやりかねん、と苦笑を浮かべることしか出来なかった。

「皆様、ご苦労さまでしたー。
それではもう皆知ってるでしょうけど、これから見事プロデューサーさんを捕まえた人を紹介します」

小鳥がちょいちょいと手で勝者を招き、自分は一歩横にどいてプロデューサーの脇に彼女を立たせた。

「やよいちゃんの勝利でした。皆、拍手お願いしますー」

ぱちぱちぱち・・・、と拍手が起こる。
良く事情を理解していた者、何と無く事情を理解している者、何も理解していない者、
色々居たが、全員がやよいに拍手を送っていた。

「あ、ありがとうございますっ!」

やよいが拍手に応えるようにペコペコと頭を下げる。

「やよいには副賞としてプロデューサーに何でも頼める権利が贈られます。
・・・良かったですね、プロデューサー。
やよいならそうそう無茶な要求はされませんよ?」

こそっ、とプロデューサーに呟いた律子の言葉に彼は苦笑で答えた。
そういえばそんな話だったな、すっかり忘れてた、とプロデューサーは心の中で呟いた。



「おめでとうやよい。
頑張ったな」

プロデューサーはやよいの手をぎゅっと握り締めて、嬉しそうに言った。

「それじゃあ、約束事を叶えよう」

アイドルたち全員が固唾を呑んで、やよいの言葉を待っていた。

「・・・あの」

やよいの口が開き、彼女が何かを言おうとした。

「・・・だが、ちょっと待ってくれ」

プロデューサーがその言葉を遮った。

「その前に、俺から勝者のやよいに渡したいものがあるんだ」

そう言って、プロデューサーは腰を屈めやよいと視線をあわせた。
それから懐に手を伸ばすと、


きゅっきゅっ


「やよい、良く頑張ったな、百点満点だ」

やよいの頬に大きく赤ペンで花丸を描いた。

「あ・・・っ?」

 やよいは何をされたのか分からなかったのか、ぽかん、とした顔を浮かべていた。
それから、ゆっくりと自分の頬を指先でなぞる。
指先には、真っ赤なインクがついていた。


「うわああああっ!
いつの間にか、すごい出血してるっ―――!」


「って、おい、何だこの勘違いっ!
流れ的に有りえないだろっ!」
プロデューサーが思わず空に向けて突っ込む。
べっとりと真っ赤に染まった自分の指先を見つめるやよいは、ガタガタと震え、オロオロとした表情で辺りを見回した。

「あー、ほらほら、やよい?血じゃないから、安心して?」

見かねた春香が前に出て、やよいに手鏡を差し出した。

「ほら、やよい。
プロデューサーさんからのプレゼントよ?」

手鏡を受け取ったやよいは、鏡を覗き込んでみてソレを知った。
自分でこすってしまった部分が幾分滲んでしまってはいたものの、確かに血ではなかった。
それは・・・


「花丸・・・?」


やよいは鏡に映った自分の花丸の絵をなぞりながら、呟いた。
乾いていないインクがまたしっかりとやよいの指に残った。

「え、えへへ・・・」

ふにゃり、とやよいの顔が緩んで、笑顔が浮かんだ。
なんだか、とても嬉しかった。
頬が火照って、じたばたと地団駄を踏みたい気分だった。


「・・・ま、これは余興みたいなものだよ。
俺がやよいの頑張りとその結果は百点満点だと思ったからな。
文句は言わせないぞ?」

プロデューサーはいたずらっぽい笑顔を浮かべながら言うと、気を取り直して続けた。

「さぁ、後は今日のイベントの副賞だ。
俺に出来ることなら何でも叶えてやるからな、言ってみろ?」

「えっと、・・・それじゃあ・・・」

皆がやよいの言葉に耳を澄ませた。

「うん?どうした、何でもいいぞ?」
「な、何でも?」
「そうだ、よっぽどの無茶じゃない限りは叶えてやる。
さぁ、言ってみろ」


やよいは指先をすっと持ち上げながら、静かに口を開いた。

「それじゃあ・・・」

ぴたり、とプロデューサーの頬の高さに指を置いた。

「私もプロデューサーがいつもいっぱい、い―――――っぱい頑張ってくれている感謝をしたいんですっ!
プロデューサーも百点満点ですっ!
だから、プロデューサーにも花丸あげてもいいですかっ?」
「おいおい、そんなんで良いのか?」

思わずプロデューサーが確認の言葉を発する。
もっと他にたくさん願いたいことなんてあるんじゃないのか?と言わざるを得なかった。

「ううんっ!ソレがいいんですっ!」

やよいはピンと伸ばした指をプロデューサーの頬に押し当てると、
自分の指についた赤色のインクで不器用に花丸を描いた。


「他には何かないのか?さすがにこれだけってのもなぁ・・・」

嬉しそうにプロデューサーの花丸を見つめるやよいに、少し照れながらも彼はそう切り出した。
財布にはトコトン優しいが、だからと言って、一度出した財布を引っ込めるような真似もあまりしたくはなかった。
まぁ、しがない男の見栄という奴ではある。


「だったら!」


あくまでも他のものを要求するプロデューサーに、やよいはくるりと背を向けた。
立ち並ぶ他のアイドルたちに向けて

「私、一人だけ何かしてもらうなんて出来ませんっ!皆一緒がいいですっ!」

宣言した。

「そうなの?それじゃあやよいのお言葉に、甘えちゃおっかなぁ〜」

春香が

「にひひっ、さっきの意趣返しに思いっきり消えないのを描いてあげるっ」

伊織が

「あ、あのっ、私・・・習字も結構上手いんですよっ、ほらほら、マイ筆ペン〜」

雪歩が

「ミキはね、ハニーに『ミキの』って描いてあげるの」

美希が

「あらあら〜それじゃあ私は間違えて追いかけちゃったこのプロデューサーさんの背広に書いてあげようかしら〜」

あずさが

「ボク、こういうの一度やってみたいと思ってたんですっ!ボディペインティングって奴ですかね?」

真が

「んっふっふ〜、兄ちゃん、亜美もたくさん描いちゃうよ→」

亜美が

「真美はね→、『兄ちゃんの負け犬→』って描いちゃうぜ→」

真美が

「よく分からないけど、〆切厳守って書いてあげますね、プロデューサー?」

律子が

「えっ?私もですか?それじゃあ・・・今後ともお願いします、ですかね?」

小鳥が

「それじゃあ・・・覚悟してくださいね。プロデューサー」

千早が


一斉にプロデューサーに襲い掛かった!


「ちょっ!ちょっと待てっ!
お前らっ!
あっ、こらっ、服には描くなっ!
あずささんっ、スーツは勘弁してくださいっ!
亜美はそれ、油性っ!油性はダメだっ!」

 プロデューサーの言葉は聞く耳も持たれず、
彼女たちは喜々とした表情でプロデューサーの身体に好き勝手な言葉を書き始めた。

「あ、何かコレ、興奮してくるかも・・・」
「春香、何言ってんだっ!お前っ!」
「変態大人〜っと」
「伊織っ!額に書くなっ!」
「ああ〜っ、滲んじゃいましたぁ〜、動かないで下さいっ、プロデューサーぁ」
「雪歩・・・無茶言うな・・・」
「ねぇねぇ、ハニー?キスマークつけていい?」
「ダメっ!絶対ダメっ!」
「プロデューサーさん、スーツの背中に刺繍入れてもいいですか?」
「だから勘弁してください、あずささん・・・」
「うーん、こっちの模様はもうちょっと、こう・・・」
「真は不可思議な幾何学模様を書くなっ!俺は宇宙人でも、アタラクシアなアベンジャーでもないんだっ!」
「髪を赤く染めてやろうぜ→」
「亜美っ、ソレはせめて髪専用の染料でやって!油性マジックはありえないっ!」
「負け犬→、っと。あ、間違えて負け太になっちった、まぁ、いいよね→」
「良くないよっ!何だよ、負け太って!気になるよ!」
「うっわーぁ、これはもうこの服、捨てるしかないですねー」
「だったら、止めてくれよ、律子・・・」
「えええっ!捨てちゃうんですかっ!記念に取っておいてくださいよー」
「はい、分かりました・・・小鳥さん」
「ふふふっ、災難ですね、プロデューサー?」
「・・・千早は書かなくてもいいのか?」
「それじゃあ・・・」

きゅっきゅっ、と千早がプロデューサーのもう片方の頬に何かを描いた。

「ん?何書いたんだ?」
「・・・内緒です」

千早は笑いながら、そう言って取り合ってはくれなかった。



衝撃の陵辱劇から約十分。

「・・・もうお婿に行けない・・・」

地面に跪き、全身を汚されさめざめと泣きまねをしながら、
ようやく解放されたプロデューサーが悲しげな呟きを漏らした。

「あ、あはは・・・、やりすぎちゃいましたね・・・」

さすがに離れて見てみると、やりすぎの感がアリアリと伝わってくる。
顔やら両腕やらスーツやらワイシャツやら、もはや何も描いてないところを探す方が困難だ。
さすがの春香も乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。

「まぁ、プロデューサーさん、私が車をまわして来ますから、事務所で着替えましょう?」

小鳥も一緒に弾けてしまった後ろめたさからか、そう言うやいなやそそくさとその場から離れていった。
・・・知らない人に一緒に居るところを見られたくなかったから、さっさと逃げ出しただけかもしれないが、
それは言わぬが華である。

「何だかグダグダになっちゃったけど、私たちもそろそろ撤収するわよ?
・・・やよい、まだ何かあるの?」

律子が〆ようとした時だ。やよいが首を捻って、何か考え事をしているようだった。

「あ、いえ、・・・その、何か言うことがあった気がしたんですけど・・・、思い出せなくて・・・?」

やよいはさらにうんうん、と唸りながらも思い出すことが出来ないようだ。


「まぁ、思い出せないなら大したことじゃないんじゃない?
取りあえずそこの寝転んでる大の男が警察に通報される前にこの場を離れましょ?」

律子の何気ないひどい発言にまたプロデューサーがしくしくと泣きまねを入れる。


「ん?ん――――っ?
あっ、あ―――――――っ!思い出しましたっ!」


やよいが大声を張り上げてプロデューサーに向き直った。

「プロデューサーっ!
千早さんから伝言ですっ!
慣れないことをしてとっても疲れたから、後で甘いものでもご馳走して下さいって!」

「へぇ・・・千早ちゃん、それってデート?」
「千早さん・・・、ハニーに手を出したら許さないの」
「あらあら〜、また調教が必要かしら〜」
「ひっ!ちょ、ちょっとやよいっ、今はそんなことっ?」

千早は何故か、どう見てもあずさに一番怯えていた。
プロデューサーはそんな様子から、『調教』の言葉の意味を考えずにはいられなかった。
・・・いかんな、エロいことしか思いつかん。

「だったら、皆連れてってやるっ!今日はもう全部俺の奢りだっ!」

まぁ、今日は千早にも世話になったし、助けてやってもいいだろう。今日はもう宵越しの金は持たん、
という気概でプロデューサーは宣言するのであった。
(END)