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花マルっ! 前編


「〜花になるんです
ハナマル スーパースタート♪」

 軽快でポップな曲にマッチした高槻 やよいの歌声がスタジオに響く。
今日の収録は、やよいにとっては珍しいことにゴールデンタイムの音楽番組であった。
彼女が一人で出演することにあまり慣れていないタイプの番組であり、
きちんと歌えるかどうか不安を覚えていたプロデューサーは、
やよいが及第点をあげられる歌い出しが出来たことにほっ、と安堵の息を吐いた。
間奏まで来ると、もう大丈夫だろうとプロデューサーは判断した。
表情も柔らかく過度の緊張を感じているようには見えないし、だからと言ってだらけている訳でもない。
プロのアイドルとして、魅力的なスマイルの影に隠せるほどの適度の緊張感を持って収録に臨めているのが分かる。
もちろん、実際の番組では録画したVTRを流すので、いくらでも修正は聞くのだが、
スタッフたちの評価として、『使えるアイドル』だとPRしておくのは重要だ。
一発OKを貰えるのが望ましいのは言うまでもない。

「ありがとうございました〜!」

 『キラメキラリ』を歌い終えたやよいがペコペコと周りのスタッフに頭を下げるのを見ながら、
プロデューサーはこの後のスケジュールをポチポチと携帯端末を弄って確認する。
トークは別撮りだから、今日はもうこれでオフってわけか。
・・・そう言えば、やよいが一発でOK貰えるとは思わなかったから、ワザと開けてたんだっけ。
やよいの力を過小評価していたことに苦笑を浮かべながら、プロデューサーはスケジューラーを閉じ、
やよいを迎えに歩いていった。



「やよい、今日は良い出来だったぞ。一発OK貰えたし、もうアイドルとして一人前だな!」

TV局のスタジオを後にした二人は、プロデューサーの運転する車に乗って、765プロに向かっていた。
その途中、プロデューサーは開花し始めたやよいの才能が嬉しく、ハイテンションでやよいを褒めちぎっていた。

「あ、い、いえ・・・そんな、私・・・ちょっとミスっちゃったし、なんかダメダメです・・・」

だが、やよいの調子がどうもおかしかった。いつもなら、
「本当ですか、とっても嬉しいです〜、イエイっ、ハイ、タッ〜チっ!」
とお決まりの台詞が入りそうなものだ。
しかし、まるで雪歩のようなネガティブな言葉が出てきたことに、プロデューサーは思わず首を捻ってしまう。

「やよい、何かあったのか?あんまり元気ないみたいだけど・・・」
「あ、別に大したことじゃないんです。
でも凄いですね、プロデューサー!
一発で分かっちゃうなんてっ!」

 少し強がりも入ってるようだが、本当に大した悩みでもない様子のやよいに、
プロデューサーもどうしたものかと悩みながら、右にハンドルをきった。

「えっと・・・それじゃあ、聞いてもらえますか?ホントに、つまんないことですけど」


車内の沈黙がそうさせたのか、本当は聞いてほしかったのか、はたまた、
やよいの力になれないとプロデューサーが落ち込まないように気を使ったのか、
ともかく、やよいはゆっくりと喋り始めた。

「私が小学校の頃の話なんです。
その頃の担任の先生は百点を取った子のゼロの数字を花丸にして返してくれる先生だったんです」
「あー、居るなぁ、そういう先生」

相槌を打つプロデューサーにこくん、と頷いてからやよいは話を続けた。

「それで、クラスの子たちの間で何個花丸を取れたかで競う遊びが流行ったんです。
小テストは一日一回ぐらいあったから、一週間で7個取れたらその子はすごいすごい、って皆から褒められるんです。
でも、私は・・・」

 赤信号で車を停めたプロデューサーがちらりと横目でやよいを窺うと、やよいは小さく笑ってみせた。

「バカだから、一回も花丸なんて貰えなかったんです」

 えへへ、と寂しそうに笑うやよいにプロデューサーは、そっか、と呟いて青信号を確認してアクセルをふかした。

「別にそのことがどう、って訳じゃないんです。
悲しかった訳でも、辛かった訳でもないんです。
ただ・・・、えへへ、よく分かりません、私、バカだから」



 きぃっ、とブレーキ音を立てて、765プロが契約している駐車場に車が停車した。
キーを抜きながら、プロデューサーはぽんぽんとやよいの頭を撫でて、柔らかい口調で言った。

「やよいは芸能活動に弟たちの世話に、それから学校もだ。
一杯いっぱい頑張ってるのは俺が知ってる。
俺が花丸をあげてもいいぐらいだぞ?」
「ありがとうございます。
・・・でもでも、花丸って私、特別なものだと思うんです。
私、学校の成績も運動神経も悪いですし、アイドルだって歌も踊りも一番になんてなれません」

・・・だから、貰えない。
そうやよいは続けたいのだろう。
プロデューサーはそれでもやよいはトップアイドルにだってなれると思っていたし、
その頑張りは充分に評価出来ると思っていた。
ただ、この子はあまり人と争うのに向いていない。
もっと言ってしまうと、人に勝つという意識をあまり持っていないのだろう。
だからこそ、守ってあげたくもなるし、手助けしてあげようと思われる存在としてファンを得ているのだろうが・・・。
それでも、華やかなイメージとは大きく異なる、
群雄割拠と言った勇ましいアイドル街道をやよいが駆け上っていくことが出来るのか、少し不安にも思ってしまう。
やよいは、もう少し自分の幸せに貪欲になるべきなのだろう。
そのために、俺は何をするべきなんだろう・・・?




「お帰りなさい、プロデューサーさん、やよいちゃん」

プロデューサーが頭を悩ましながら、765プロの扉を開け放つと、
765プロの名物事務員として知る人ぞ知る音無 小鳥が出迎えてくれた。

「さ、皆さんもう会議室に控えていますから、お二人もお願いします。」

 そう言って、慌しく会議室に入っていってしまう小鳥を訝しげな顔で見送りつつも、
入らないわけにはいかないか、とプロデューサーは覚悟を決めて会議室へと繋がるドアノブを握った。
隣のやよいはきょとん、とした顔でよく状況を理解してはいないようだ。

 これは察するに・・・


 さかさ鬼ごっこ


社長の思いつきだろう。
会議室のホワイトボードの上に書かれた嫌になるほど達筆な横断幕に突っ込みを入れる気力を失いつつも、
プロデューサーは今後ほぼ確実に起こりうるであろう、自分に降りかかる災厄を想像してため息を吐くのであった。


「・・・で、何なんですかこれは?」

とは言え、立場上聞かない訳にもいかないのがサラリーマンの辛いところである。
部屋を見渡すと全員集合しているようだが、ほぼ全てのアイドルは現状を把握していないようだった。

「私から説明しますね、プロデューサー」

ずいっ、と立ち並ぶアイドルたちから一歩前に出て、眼鏡で事務員アイドル兼任な、
困ったときはお任せよ、リッチャンハカワイイデスヨ。
・・・随分と話が脱線してしまったが、秋月 律子がいつもの縦縞の服で説明をしてくれるらしい。
それにしてもついつい、『からあげ君、一本』と・・・いや、それは関係ない。

「何ニヤニヤしてるんですか?真面目にやって下さい!」

定型句でちょっとキツメに怒られた。反省。

「とにかく事情を説明してくれ。どうせ全員揃ってから、とか言って誰にも説明してないんだろ?」

とにかくさっさと話を進めないと、いい加減焦れてくるアイドルも出てきそうだ。
伊織とか伊織とか伊織とか伊織とかな。

「それもそうですね。律子さん、始めましょう」
「あー、はいはい。それでは説明しますから、皆さんよーく聞いてくださいねー」

パンパン、と手を叩いて皆の意識をそちらに向けさせた律子が『さかさ鬼ごっこ』とやらの説明を始めた。



律子の話をまとめるとこうだ。

頑張っているアイドルたちのお陰で765プロは前年対比五十%増と素晴らしい業績だ。
そこで会社としてはアイドルたちにボーナスをあげることにした。
事務所からは全員にボーナスを用意したが、
アイドルたちはきっと自分のパートナーであるプロデューサーからも何かご褒美が欲しいだろう。
だが、プロデューサーこと俺にそこまで負担を掛けるのも悪い。せいぜい一人が限度だろう。
社長は考えた。
皆の結束を損なわずして、効率的にプロデューサーからご褒美を貰える方法は・・・?ゲーム感覚ならどうだろう。
そう考えた社長は、鬼ごっこを思いついた。
それも鬼はプロデューサーで、追いかけるのはアイドルたちだ。
そしてプロデューサーを捕まえたアイドルは、目出度くプロデューサーに願いを叶えてもらえるというアイディアだ。
鬼が捕まえるのではなく、鬼が捕まる。
だから『さかさ鬼ごっこ』という名前だという。



・・・ちょっと待て。

「あのー、律子?」

恐る恐るプロデューサーは手を上げて、質問を試みた。

「何です、プロデューサー?
今から詳細なルールの説明に入りますけど?
経緯が分かりませんでしたか?」
「いや、それは分かったんだけど・・・、俺、自腹?」
「当然でしょう?
そうじゃなかったら、プロデューサーからのご褒美じゃないですから」
「すみません、プロデューサーさん。
社長がノリノリで、止められませんでした・・・」
「は、ははは・・・いや、小鳥さんが悪いわけじゃありませんから・・・」

謝罪の言葉を入れる小鳥に渇いた笑いで答えるプロデューサーの声は、
ひゅるひゅると空気の抜けた風船のように頼りないものであった。

「安心して下さい、プロデューサー。
みんな、プロデューサーの財布の中身のことは分かってますし、
金銭的に大変なことを要求されることは・・・ないんじゃないんですかね?」
「ちょっと!
どうして私を見てから、目を逸らしてそんなこと言うのよ、律子っ!
言わないわよっ!私はっ!」
「じょーだんよ、冗談。
伊織は言わないわよねー」
「とーぜんでしょっ!私が勝ったら・・・・・・にひひっ!」

爛々と目を輝かして狂気が篭ってそうな笑みを浮かべる水瀬 伊織に、プロデューサーはぞくっと背筋を凍えさせる。

「・・・なぁ律子。
有り金全部上げるから許して、って言ったら伊織は許してくれるかなぁ?」
「・・・多分、許してもらえないと思いますよ。
その場合は諦めて伊織のペットにでもなって下さい」

うわ、ひでぇ。俺泣きそう。


「律子さん、話を続けてよろしいですか?」
「ああ、すみません小鳥さん。
ルールは至って簡単ですから、さくっと説明しますよー」

小鳥の声に律子が慌てて居住まいを正して、ルールの続きを説明し始めた。

「場所は近所の通学路から、遊歩道、林道、獣道まで整備されたちょっと大きめの自然公園です。
作りすぎた公園内道路の影響か、ちょっと迷路っぽいと評判の公園ですね。
ゲーム時間は一時間、指定されたスタート地点からプロデューサーが逃げる時間が五分で、
五分経ったら各自の携帯にメールを送りますので、それがスタートの合図だと思ってください。
春香たちはプロデューサーと同じスタート地点に待機してもらいますので、
合図の後は公園の敷地内を自由に探索して下さい。
ゲーム終了も同じです。
全員の携帯にメールを送ります。
それを一回終了ごとに三十分のインターバルを置いて三回行います。
全部逃げ切れればプロデューサーの勝ちで、捕まったらその時点で捕まえたアイドルの勝ちです。
鬼ごっこですので、見つけたらでは無く、捕まえたら終了ですので、勘違いしないよーに!
それから、補足ですが私と小鳥さんは審判で参加しませんので、そのようにお願いします、プロデューサー」


プロデューサーは律子の言葉に応える間も惜しんで、早くもどうすれば捕まらずに済むのかを、必死に考え始めた。
どうせ社長の提案なら止めようとしても止められる訳もないのだ。
であれば、どうすれば無事にこの難局を乗り越えられるのかを考える方がよっぽど建設的である。
初めに敵となるアイドルたちの様子を窺ってみる。
ちなみにこの765プロに所属するアイドルたちは既に紹介した三名の他には、
天海 春香、星井 美希、三浦 あずさ、如月 千早、菊地 真、萩原 雪歩、双海 亜美、双海 真美、
以上の八名で、計十一名のアイドルがいる。


それでは、皆のやる気はどんなものだろうか・・・?


春香、美希、あずささん、それから伊織か。
コイツらは・・・危険だ。何か剣呑なオーラを感じる、
彼女たちの誰かに捕まったら何か大切なものを奪われる気さえするぜ・・・。
目を逸らした先にいた千早と真、雪歩はまだ急な話の展開に着いていけてないようだった。
この三人は取りあえず序盤は大丈夫だろう。
亜美と真美は・・・、まぁこの二人には捕まらないだろう?
さすがにまだ小学生にかけっこで負けるほどには衰えてない・・・はずだ。
それから・・・やよい。
やよいは少し落ち込んだところに急に舞い込んだハイテンション過ぎるイベントに戸惑いを隠せないようだった。


「やよ・・・」

思わず声を掛けそうになるが、そこをぐっ、と抑える。
逆に考えると、これはチャンスでもある。これまでもやよいは後一歩のところで、自分から引いてしまうところがあった。
それはさきほどのエピソードだけが原因ではないだろうが、
それでもアレは自分を過小評価しがちなやよいの人格を形成する上で欠かせないピースであることには違いない。
今後、やよいがアイドルとしてさらに成長を続けていくためには、・・・ここでやよいがこのイベントをきっかけに、
自分で立ち上がることを信じてやれなくて何がプロデューサーだ。


やよい、お前は一生懸命頑張れるだけじゃない、歌や踊りが一番じゃなくても、一番のアイドルになれる逸材だ。
俺を最初に捕まえにこい。


・・・待ってるぞ?




プロデューサーが自然公園の奥にある深い茂みの中に身を潜めようとすると、
背広に仕舞い込んであった携帯からサイレンが

『ウ〜ウ〜』

と鳴り響いた。
恐らくこれが開始の合図なのだろう。
律子に一度携帯を取り上げられたから何をしているかと思ったら・・・、
唖然としないでもないが今はきちんと隠れることが大切だ。
『さかさ鬼ごっこ』一時間目・・・開始。


実のところ、実際に公園に着いてみて隠れる場所を探すうち、
プロデューサーはかなりこのゲームが自分に有利であると感じた。
この765プロの近所にある自然公園はかなり広く、
隅から隅まで見て廻るだけでゆうに数時間は掛かってしまうだろう。
隠れている人を探すとなれば1日がかりでも難しい。まして、一時間ごとにリセットがあれば尚更だ。
当然、プロデューサー探知ゴーグルといった追いかける側に有利な『ご都合主義な』アイテムも存在しない。
そう言った意味で利用できるとすれば、携帯電話の位置指定サービスだが、
幸か不幸か、アレはそこまで精度の高いものではない。
使ってみたとしても、この公園に居ることは判断出来ても、何処にいるかまでは分かりはしない。
 つまり、見つかれば最大十人という大人数に追われる可能性があるとは言え、
この遮蔽物の多い場所で人間一人を捜し当てるには十人というのは絶対数が足りないのだ。
プロデューサーがきちんと隠れることが出来れば、よほど運が悪くない限りは、易々と見つかることはないだろう。

「こりゃ、思ったよりも楽勝かもなぁ・・・」

背広を着て公園の隅で隠れている大の男という世間体のヤバさを除けば、
待ち時間の多い芸能活動で慣れたこの身にとって一時間隠れ続けるなどということは造作もない。
プロデューサーは気楽にそう考えながら、がさがさと音を立てて茂みの中に消えていった。




「・・・静かだなぁ」

プロデューサーの声がぼそり、と漏れる。
開始直後はそれでも息を殺し、気配をなるべく小さくしようと気を配っていたが、
もう開始から三十分も経つというのに、アイドルたちはこちらに気付く所か、そもそも近くを通り過ぎてさえいない。
微かに聞こえてくる喧騒も、見も知らぬ子供たちのものだろう。
もしや、『さかさ鬼ごっこ』などという競技自体がフェイクで、
今頃事務所に皆で帰ってしまっているのではないか、とさえ思えてくる。
もしそうだったら、本気で転職を考えようかなぁ・・・。
はぁっ、とため息を吐こうとして、ぐっ、と息を飲み込んで音が出るのを堪える。



たったったっ



そのとき、音が聞こえた。これは・・・恐らく女性の足跡だ。
意識してみると、まっすぐにこちらに近づいて来ているのが分かった。
どうやらこの競技自体が嘘というのは杞憂だったようだ。
茂みの隙間からまだ遠くに見える人影を覗き込んでみると、ちらりとピンクのリボンが見えたような気がした。


 ・・・春香、か?


 プロデューサーは人影を特定すると同時に安堵を覚えた。
春香の身体能力はそう高いほうでもない。
もし、見つかるようならば、機を狙って向こうより先にダッシュを仕掛けられれば問題なく逃げられるだろう。
そもそも細かい作業が苦手な方に入る春香にプロデューサーが見つけられるとも思えない。
そんなことを考えている間に少し近づいてきたらしく、春香の

「ふんふんふん〜♪私マーメイド〜♪」

というお気楽な鼻歌まで聞こえてきた。
それにしても、春香は公園の歩道沿いにブラブラと散歩気分で歩いているだけで、茂みの奥や木の上など、
プロデューサーが隠れていそうな場所に目を向けようともしないのが不思議だった。
・・・はじめは公園を一回りして地理を確認する作戦なのか?
春香はそそっかしい所があるし、このまま何回もニアミスしつつも見逃し続けたりしてな?
 プロデューサーは息を殺しながらも、くすり、と口の端を歪ませ・・・。


「えっ?」


思わず声が漏れた。
おかしい。
オカシイ。
ありえない。
アリエナイ。
何で・・・春香は、整備された林道を越えて、こっちにまっすぐ近づいてくる?
もう大分近くにいる春香の口が三日月に歪んでいるのが見えた。少し視線を上げる。


・・・目があった。


「うわぁあああああ!」

茂みから飛び出すように立ち上がり、両手でばきばきと木の枝を割り砕きながら逃げ出そうとして
・・・プロデューサーは再び、ぎょっ、と驚いた顔をした。

「あっ、ハニー、見っけ」
「ふん、さっきは良くも好き勝手に言ってくれたわね。
私が勝ったらアンタの想像通りのことしてあげるから、覚悟しなさいよねっ、にひひっ」
「あらあら〜、色々と道に迷ってたらプロデューサーさんを見つけてしまいました〜」

右手方向に、美希。
左手方向に、伊織。
後ろには、あずささん。
もちろん、・・・正面には春香。


「なんでっ?」

思わず疑問の声がプロデューサーの口から漏れた。

「あっれー?みんな同時になっちゃったんだー?」

プロデューサーのパニックになった頭に春香のやけに軽い口調の言葉が届いた。
クソ、いつもと同じ口調なのに、状況が違うだけでえらく恐ろしい・・・。

「せっかく一人でプロデューサーさんを捕まえられるように、ぐるぐると公園内を歩き回ったんですけどね。
意味なかったみたいですっ」
「それは・・・つまり。
俺が何処に居たかなんて、始めから分かっていたということか?」
「もちろんですよっ」
「あらあら〜分かりますよ、もちろん」
「分かるに決まっているじゃない」
「もちろん、ミキはハニーのことなら何でも分かるの」

・・・何がもちろんなんだろう。
とは言え、今は真相を究明していられる余裕は全くない。
じっとりと滲んだ汗を疎ましく思いながらもプロデューサーは辺りを窺った。
春香と話をしている間にも、じりじりと残りの三人は間合いを詰めてきていた。
これは・・・プロデューサーを警戒して、というより、他のアイドルに対するポーズだろう。

「さ、プロデューサーさん。どうせなら、私に捕まってもら・・・って、あ、あわわわっ?」

 プロデューサーにゆっくりと近づいていこうとした春香が転んだ。
もうお約束のそのドジっ娘ぶりにプロデューサーの目が光る。

「甘いなっ、春香!抜かせてもらうぞ!」

だっ!と一気にダッシュ!


ただし、伊織の方に向かってだ!

「ええっ、ちょ、ちょっと!アンタ、待ちなさっ・・・」

 予想通り咄嗟のことで口は出ても手は出ない伊織の横を颯爽と潜り抜ける。
そのまま背広姿のプロデューサーの足は驚異的な速さをアイドルたちに見せつけた。
一番驚いていたのはプロデューサー自身である。
必死さのあまり気持ちが高ぶってハイになり、実力以上のスピードが出ていた。
アイドルたちが体勢を立て直す暇も与えず、整備された遊歩道まで辿り着くと、勢いづいて林道を駆け抜けていった。
さすがに女の子であるアイドルたちでは、一度スピードに乗ってしまった大の男に追いつけるわけもない。


「ぶーっ、おでこちゃん、なんでハニーをあっさり逃がしちゃうのよー」
「おでこちゃん言うなーっ!」
「あらあら、おでこちゃん。役立たずなのね〜」
「だからおでこちゃんって言うなって・・・」
包囲しておいてあっさりと突破されてしまった伊織に非難轟々な
美希とあずさによる『不名誉なあだ名』に怒った伊織の叫びが終わるよりも早く、
何事もなかったかのように、春香が立ち上がった。
パンパン、と衣服についた汚れを払うとプロデューサーが逃げていった方向を見つめながらため息を吐いて、

「ちっ」

 舌打ちというアイドルにあるまじき行動に、残りの三人の顔が思わず強張った。

「・・・ねぇ、あずさ、美希?もし春香が襲ってきたら私を守ってくれる?」
「それは無理ね〜、その場合はお香典を包むぐらいで勘弁してもらいたいわ〜」
「ミキはね、メンドクサイから嫌なの」
「・・・薄情者」

 伊織はげんなりとした表情で呟いて春香の顔色を窺おうとしたが、
もうさっきまでの場所には春香の影も形も存在しなかった。
それどころか、美希とあずさの姿も消えていた。
伊織は誰も居ないのを確認すると、スカートの中をこっそりと覗き込んで、ちょっとだけほっとした表情を浮かべた。

「・・・漏れてないわよね」

 あまりにも怖くて、ぶるっと来てしまったのだ。
もちろん、皆には内緒だが。
取りあえずトイレに行っておこうとそそくさとその場を後にする伊織であった。




「はっ、はっ、はっ、はっ」

プロデューサーは後ろを振り返って春香たちがついて来ていないことを確認してからも、
足を緩めることなく公園内を駆け抜けた。
そんなプロデューサーの姿に公園を歩く無関係な人々たちが驚いた顔をして振り返っていくが、
それは気にしないことにする。
アイドルたちは人通りの少ない場所だけを選んでプロデューサーを探し回ってるようで、
アイドルが何人もうろついているはずなのにあまり浮き足立った雰囲気は見られなかった。
 プロデューサーは追いかけられてから五百メートルほど走った後、そこから大きくUターンを始めた。
まさかアイツらも同じ場所に戻ってくるとは思わないだろう。
鬼ごっこはつまるところ、隠し場所を特定するための駆け引きが重要なのだ。
相手の考えの裏さえ上手くかくことができれば、見つからずに逃げ切れる、・・・はずだ。


「とはいえ、もうっ、苦しくてっ、駄目だ!」

先ほどの逃げ出した地点から間近の場所まで全速力で戻ってきたプロデューサーは、
そのまま目に飛び込んできたトイレに駆け込んだ。
ちらりと横目で女子トイレを見ると、『清掃中』の札が掛かっていた。
この分なら、隣に誰か俺を追いかけている奴がいて、出てきたところでばったり鉢合わせ、
なんてお約束のハプニングも起こらないだろう。


「はっ、はっ、はっ・・・はぁ―――っ」


走っている最中はそうでもなかったが、一度足を止めてしまうと一気に疲労が襲い掛かってきた。
酸欠気味の脳が酸素を求めて、必死に呼吸を促してくる。
足はじんじんと痺れ、腰がぴりぴりと痛みを発した。
プロデューサーはぼやけた頭で、ゆっくりと呼吸を整えながら、トイレを見回した。
隣の女子トイレの前に清掃を終えたばかりなのだろう。
綺麗、とまではいかないが、衛生的だとは思える程度には手入れが行き届いていた。
心臓の脈動が落ち着いてくると辺りの様子も気になるようになってくる。
そう言えば、トイレを利用している人はいなかっただろうか?
もし人が居たなら、突然トイレに駆け込んで来て、さぞかし驚かせてしまったことだろう。
だが、幸いなことに小便器の方には誰も見当たらなかった。
個室を見ると一つだけ扉が閉じられているが、顔を合わせても居ない個室の人にわざわざ謝るのも何か違う気がする。
もしかしたら、余計に緊張させてしまったり、イヤな思いをさせてしまうかもしれない。


きぃっ


「ん?」
 プロデューサーが改めて呼吸を整えようと、すーはーっ、と深呼吸を始めると、微かに音が響いた。
何気なく、振り向いたプロデューサーの視界に写ったのは・・・、
こちらを個室のドアの隙間から覗き込んでいた伊織であった。

「きゃあっ」

プロデューサーと目があったことに驚いたのか、伊織が慌ててドアから顔を放した。
その際、後ろに下がってしまったのか、個室のドアが自然と開いていく。そして、伊織の全身が見えた。
伊織らしい、可愛い感じの膝丈くらいまでのワンピース、
その両膝のすぐ下に、くるくると丸まった布が引っかかっていた。

「・・・ピンクか」
「・・・へ?」
「いや、何でもない・・・どうして伊織がここに?」
「トイレ行こうとしたんだけど、女子トイレが清掃中だったみたいで、男子トイレ誰もいないみたいだし、
その、こっそりと入ればばれないかなーって思って・・・、
でも、誰か来ちゃったから、どうしようどうしようってパニックになっちゃって・・・ってアレ?」

何とか話をごまかそうとしたけど、まぁ無理だろう。
伊織が我を取り戻すまで、後、







「きゃあああああああっ!」

 悲鳴がトイレの中に響き渡ったと思ったら、
伊織がパンツを隠そうとわたわたしながら両手で膝を抱え込もうとしながらも、さらに後ろに下がろうとしてっ!

「伊織っ!後ろっ!」
「へっ?」

「きゃあああっ!」

「伊織、大丈ぶ・・・か・・・?」
便座に足をひっかけて、転んでしまった伊織に掛けた声が、思わず止まる。そして視線も止まる。
「・・・まだ子供なんだなぁ」
「な、何が・・・?」

自分の体を支えきれずに転んでしまった伊織がぺたん、と腰を床につけながら、
プロデューサーの感想に疑問符をうかべる。
そして、プロデューサーの動かない視線にしたがって、つつつ・・・と自分の視線を下げていき、


「ぎゃ、ぎゃ―――――っ!」


 
今度はアイドルにあるまじき奇声をあげた。
駄目だな、伊織。イメージダウンだぞっ?

「・・・生えてないんだなぁ」
「み、・・・見るなぁっ!」

まぁ何が生えてなくて、何を見ないのかは伊織の名誉のために言わないでおく。
一つだけ言うと、伊織のパンツは転んだはずみで完全に脱げていた。
それだけは確かである。
インド人嘘つかない。
いかん、こっちも混乱している。


「このっ!変態っ!変態っ!変態っ!」

涙ぐみながら浴びせられる罵声の言葉も、
いつもの各国の言語の冠詞をつけるお得意のパターンを使うほどの余裕もないらしく、えらくシンプルだ。
そんないっぱいいっぱいな伊織にプロデューサーが与えられる言葉もシンプルなものであった。

「伊織・・・。取りあえず、パンツあげとけ?」
「ばか―――――っ!あっち向いてなさいっ!」

慌てて後ろを向くと、はぅはぅ言いながら伊織が衣服を直す衣擦れの音が響いた。
ちょっとドキドキするな、やばい、夢に見そうだ。


「・・・あんた、責任とんなさい」

 そんな夢見心地なプロデューサーの桃色意識は、地獄の底から響いてきたような、
おどろおどろしい声であっさりと断ち切られた。
走っていた余波からようやく解放されて平穏を取り戻したはずの心臓が、再びドクドクと激しく脈動を打つ。
喉はからからと渇き、そのくせ手にはべっとりと汗が沸いた。

 振り返ると、悪魔がいた。

「あんたっ!絶対、私の下僕にしてやる――――――っ!
そしたら犬って呼んでやるわ、このエロ犬―――――っ!」
「もう呼んでるしっ!」

怪獣のように叫ぶ伊織に突っ込みを入れつつも、なんとか悪魔の特攻をかわす。
伊織がそのままくるり、とこちらを振り向いた瞬間、


・・・悪寒がした。


トイレから慌てて飛び出して、そのまま大きくジャンプして地面に突っ伏す。

「魅力っ!ビ――――ムっ!」

 どっかーんっ!

比較的生きていく上で聞く経験のないはずの音が響き、トイレの壁がビームで粉々に破壊された。
そして、プロデューサーがしゃがみ込んだ背中の上に、細かいコンクリートの破片がばらばらと散乱する。

「う、嘘だろっ!」

 唖然とする。
そりゃ唖然とするさ、人間はビームを撃てるようには出来ていない。
そんな当たり前の常識が覆されたら誰だって唖然とする。
っていうか、そんな問題でもないかっ!


ジリリリリっ、ジリリリリリっ


「ってこんなときに電話?」

慌てて電話に出る。取引先やお客様だったらまずいからなっ!

「プロデューサーさん、説明しましょう!」
「こ、小鳥さんっ?」
「アイドルはアイドルオーラを収束することでビームを撃つことが出来るんです。
結構有名な話ですよっ?」
「ぜってー、嘘だ―――――っ?」
「とまぁ、そんな訳なんで頑張ってくださいね〜っ」
「小鳥さん?小鳥さーんっ?対処は?対処方法教えてくださ―――――いっ!」


「・・・懺悔は済んだの?」


「ひぃっ!」

 やばい、コイツはやばすぎる。
ヤル気だ。
コロス、と書いて殺る気だ。
だらだらと冷や汗を流しながら、ここは765プロ謹製、思い出爆弾を使うしかないと決意する。
伊織っ!俺との楽しい思い出を見て落ち着いてくれっ!

「必殺!思い出爆弾!」

 カッ!と辺りに閃光が走る。結果は・・・っ!


BAD APPEAL


あああああっ!終わった!
さよなら現世!
また来て来世!

「ふふふふふふ・・・、そういえば、過去にも、いっぱいあんたにはセクハラされたわね・・・」

バッドアピールで悪い思い出を見せ付けられた伊織がギラギラと輝く双眸でプロデューサーを睨みつける。

「安心なさい。
死なない程度に手加減してあげるから・・・。
ま、あんたのエロさの源は焼き切ってやってもいいけど・・・」
「ひぃっ!
それは男として死ぬ!
死ぬからやめてっ!」

伊織がプロデューサーの必死の懇願に答えようともせず、凄惨な笑みを浮かべた瞬間、光が弾けた。


プロデューサーの眼前で。


プロデューサーがしっかりと閉じていた目を恐る恐る開けると、
彼の目の前の地面には鈍く輝きを放つ大ぶりの日本刀が突き刺さっていた。
どうやら、伊織の魅力ビームはこの日本刀に遮られた格好となりこちらまでは届かなかったようだ。
・・・しかし、日本刀?


「伊織・・・、人の旦那(予定)を勝手に使い物にならないようにしないでくれる?」
「は、春香ぁっ!
ありがとう!ありがとう!」
 声のした方向へと振り返ってみると、二十メートルほど向こうに春香が立っていた。
鞘を握った片手をこちらに突き出しているポーズでいることから見て、
あそこから鞘に入ったままの状態で刀だけ弾き飛ばしたのだろうか?
うん、人間業じゃないな。
それはともかく、春香の旦那になる予定はないが、お礼だけはきっちりと言っておくことにする。
ただ、訂正はしない。
だって、敵が二人になりそうだし。

「・・・春香っ?」

 伊織が怯んだ声を上げる。
が、春香は伊織のことなど眼中にないとでも言うのか、プロデューサーに笑顔で話しかけた。

「プロデューサーさんのことなら何処にいても、運命の赤い糸で繋がっている私にはすぐに分かりますから、
鬼ごっこなんて楽勝だと思ってたんですけどね。
伊織にあずささんに美希も何の間違いか、プロデューサーさんの居場所が分かるみたいなんですよ〜」

・・・何だソレは。
お前ら、びっくり人間ショーの住人か?
そんな反則技というか、どうしようもない技が使えるのなら、隠れる、という行為がむしろそのまま死に繋がってしまう。
何しろ、向こうはこちらの位置が丸分かりなのだ。
先ほどは油断をしていたのかあっさりと姿を見せたが、
突然近くに現れることを狙ってこっそりと近づくことが出来るのならば、
逃げ出そうと立ち上がるだけでも手間の掛かる巧妙な隠れ場所はかえって最悪の選択肢となってしまう。
そうすれば、あっさりと捕まってしまうだろう。

「でも、プロデューサーさんの一番はやっぱり、私ですよねっ?」

 春香はプロデューサーが窮地に陥ったこの事態に言質を取ってしまおうとでも言うのか何だか発言が不穏当である。
というか、いつの間にか右手に持った鞘が集音マイク付レコーダーに変わっていた。


・・・違うっ、春香も敵だよっ!


「あらあら〜、でしたら最後に私たちが立ち塞がることも分かってますよね〜」
「あふぅ、若さでもスタイルでも将来の可能性でもハニーがミキを選ぶのは当然なのに、必死になってておかしーの」
「私はあいつなんてどうでもいいけど、お仕置きしてやんないと気がすまないから、あんた達邪魔なのよっ!」
「ふぅ―っ。
どうしてもみんな邪魔したいっていうなら、しょうがないから掛かってきていいですよ〜?
どうせ、メインヒロインに敵うわけなんてありませんからっ」

余裕の笑みを浮かべる春香に、いつの間にか追いついていたあずさと美希、その場に居た伊織の視線が交錯する。
あずさと美希は確かにプロデューサーが先ほど走ってきた道筋と同じ方向から現れた。
つまり、春香の言っていることは確からしかった。
そして、プロデューサーが置かれている現在の状況はほんの三十分ほど前と同じ構図だが、二つ違う点がある。
一つは、皆がマジもマジ、大マジだと言うことだ。
ヘタしたら死人が出そうな迫力である。そして二つ目は・・・プロデューサーはもう逃げられそうにありません。
四者の視線が再び交錯し、一斉にプロデューサーに向けて飛び掛らんと・・・


『ウ〜ウ〜』


 全員の懐の携帯が一斉にサイレン音を鳴り響かせた。
一時間目の終了の合図である。
い、一時間目終了か・・・。
なんとか首の皮一枚で繋がったけど・・・、俺、次は自身ないぞ・・・。



 『さかさ鬼ごっこ』一時間目・・・終了

(続く)